2012年6月29日金曜日

ー青春の缶詰ー



去年の12月、クリスマス前にも参加したLipdubという映像イベントに今回また参加して来た。Lipdubとは何か・・。
「仲間と過ごした青春の思い出」を詰めた缶詰。と説明すればいいのか。
まずは僕の下手な説明よりも見て頂くのが一番良いのかもしれない・・。
最近多くの国で大学生達が主体となって作っている。


リンク:最好玩的校园宣: Lipdub ZJU 浙江大学




僕が最初の方でちょこっと出て来たのを見つけられたでしょうか。
赤いドレスを着た女の子が橋を渡った後から、男の子が滑って転ぶあたりまで。
音楽も構成も自分たちで考えた。
内容は遠く離れた故郷にいる両親へ「私たちは楽しく元気に大学生しています。心配しないでね。」といったメッセージ性も込められている。


ちなみにこちらは英国の大學UVic[Hey soul sister]の曲にのせて作られたもの。
hey soul sister at UVic



http://www.youtube.com/watch?v=EeGDRSWB46w&feature=related



再び名門、武漢大學へ。
講演会の前後に旅行サークルや自転車サークルのみなさんが食事に連れて行ってくれた。
皆と話していると頭がいいのだなぁということを感じる。親の期待を背負って故郷から出て来た彼らは新しくここで出会った友達と共に様々な事を学んで、また親の元へ帰っていくんだね。


中国の学生さん達の悩みとは。
一言で言うなら、こちらの学生は「自由が少ない」だろうか。
それは様々な理由からなのだが、まずは彼らの中での家族という存在が大きい。

これでもかというくらい、親からのプレッシャー(圧力)を感じている。それは小さな頃から「こう育ちなさい。こういう大人になりなさい。」と言われ育てられ、親が決めた道から逸れる事が許されなかった。
ある教授が教えてくれた。
日本の子供が不良になるのは中学や高校からで、大學になると落ち着き、次第に不良などは見られなくなる。しかし、中国ではもし中学生時代に不良にでもなろうものなら、施設に入れられてしまう。少年院とまではいかないが、逸れた道から元に戻すための強制施設。しかも親が無理矢理その子供を入れるのだ・・。
少しやり過ぎな気もするが、世間体と面子を重視する文化故出来上がった仕組みなのだろう。しかし、これじゃまるで金太郎飴で、ひとりひとりの個性が育たない。

ある学生達からカフェで相談を受けたとき。一人の男の子が正直に自分の気持ちを手紙に書いてくれた。
「毎日が試験の為の勉強で急がし過ぎて、自分のやりたい事や夢を見つける暇がない。空いた少しの時間は寮でネットゲームやオンラインで友達と話すだけ。私たちも一人旅をしたいとは思っているけど、時間とお金はどうすれば、それに親がダメって言ったらできないんだ・・。私たちが出来る事って一体なんなんだろう・・。」

何か大きなことをしようにもすべて親の許可が必要なんだ。




ただし、物事には両側面があるもので、良い側面を見ればそれだけ親は子供を、子供は親を大切に思っているということだろうか。
働くようになれば親にお金を送り、さらに歳を取れば一緒に暮らす。それがいわば当たり前になっている。
よく聞かれる質問の一つにも「家族はこの旅をサポートしてくれていますか?親はどう思っていますか?」と家族のことに触れている。
サポートというのはお金と心の両面で。

僕の場合どうなんだろう・・。ほとんど自分の意志で飛び出して来たので、親にはきっと心配かけているだろうが、それ以外の迷惑はかけないようにしている。




最後に、
ある日本に留学している中国人の学生からメッセージが届きそこにはこう書かれていた。一部抜粋。

「私たちはお互い違う国にいて、二つの国を結ぶ【架け橋】だと思います。私は日本で頑張ります。Keiさんも中国で頑張ってくださいね。」

なんか嬉しかったなあ。
政治レベルでは問題だらけで先に進まない、これからの未来をより明るく変えられるのは小さくとも力強い僕らひとりひとり民間の力なんだろうな。




漢川 to AnLu

走行距離: 92.59km
平均速度: 18.9km/h
最高速度: 37.9km/h

2012年6月27日水曜日

ーただのスケベと、尊敬される人ー






この国含むいくつかの国ではfacebook初め、僕のgoogleから出されているbloggerも規制されて閲覧が全く出来ない。
しかし僕のブログを読んでくれた日本に住む中国人の友達が、ぜひ中国語化して中国国内でももっとみんなに読んでもらいたいとのことで翻訳作業が始まり、今では北京、杭州、武漢、日本の4カ所の人たち(お互い知らない人同士)で構成する翻訳チームが出来た。

そのうちの一人、日本企業と取り引きをしている会社で働く友達から先日電話でこんなことを聞かれた。

「日本のサラリーマンはみんな風俗に行ってるってホント・・?」

とても淳朴で汚れのない彼女からそんなこと聞かれるのはショックだった。
取引先の日本企業の日本人男上司がそう言っていたらしい。

残念ながら否定できない。
ずっと前から僕も声を大にして言いたかったことだけど、もう我慢の限界。



お願いだから、失礼な日本人にならないで欲しい。
出張や留学と称して少し羽伸ばし過ぎていませんか。
取引先に接待されたからしょうがない?これもビジネスを円滑にする為の大切な行事なのだろう。こちらでは風俗とは呼ばない。表向きカラオケ(KTV)やマッサージ(足浴)店なのだがビジネスで利用する場合はその目的が違う。
隣に座る可愛い女の子に片言でワイン?と言われれば数千円でも躊躇わずに渡し、終いには女の子を十数人並ばせその中から、選び、持ち帰る。

今ドキッとしたアナタ。
自分の娘よりも若い子と寝て。日本で待つ奥さんはどう思うのか、子供はどう思うのか。
お金があるから全て得られるとでも思ってしまったか。ではそのお金を失ったときに残るものはなんだろう、きっと奥さんすら残らないだろう。
失うのが怖くて、それでもやりたいのならば、始めからひとりになればいい。

撮影カメラ:Go pro


ある大學に留学している日本人の女の子が言っていた。
「日本の男が世界で一番モテないんだって。」
ショック。そんなこと聞きたくなかった。もちろん、全員がそうとは限らない。でも悲しい事にそう誰かに思われてしまっているというのも事実。

日本でもそうだった。都内の居酒屋から出てくるリーマン達。女性社員が帰ったらすかさず「いく?いっちゃう?何系?」と誰かが口を切る。

そんな男達のそばを通るだけで腹が立ってしょうがなかった。同時に悲しい気分になる・・。きっとこの人たちは海外に出張にいっても同じなのだろうと。



あるタイとミャンマーの国境で、売春をしている十代の女の子達を保護する活動をしている日本の団体の方と会って話をした事がある。そこでの児童買春の裏話を聞くと、ひどいものだ。その客の多くを占めるのが欧米人に負けず日本人だという。大學の教授、会社経営者、学校の先生。きっと日本に帰れば偉い事を言っている「つもり」の人たちなのだろう。僕らの目にはだらしないスケベオヤジとしか映らなかった。
あの有名なタイのパタヤの繁華街を歩いていたとき、50代くらいの日本人男性と十代と思われる超ミニスカートをはいたタイの女の子が手をつないで歩いていた。僕は明らかだろうと思い、男が彼女のお尻に手を回したときに一眼のフラッシュを真正面から焚いた。すると男はすかさず手を離し、軽く彼女を突き飛ばした。


ドキッとしたアナタ。
見られていないようで、見られているんです。
そして日本に来た事無い、こちら地元の人たちは「日本人は・・・。」
と評価してしまう。
もっとそのお金を使うべき、他の事があるでしょう。


以前の記事にも書いた、僕らはひとりひとり「窓」を持っている。
出国スタンプを押された瞬間から、自分ひとりひとりが日本代表だと思って行動するべきだと思う。
日本代表って、スポーツだけじゃないんだ。




一方で、こんな素敵な話もある。

武漢の大學に留学しているある日本人、なんと70代の女性。
なぜ今留学、そして中国なのだろうか。これには深い話がある。

彼女の父親が亡くなった後、遺品を整理していると、「軍事手帳」というものが出てきた。そこには「焼け付くし作戦」という恐ろしい作戦の名前が書かれていた。そこに記された作戦を実行された場所は2カ所、そのうちの一カ所がここ武漢だった。
彼女は退職するまでずっとその事が気がかりで、手帳を自身で保管しながら、父親の足跡を追った。調べれば調べる程、今まで知らなかった事実が次第にわかってきて、申し訳ない気持ちが積もっていった。父親のしたことの代わりに何か彼女に出来る事はないか考えたのだそう。
そして彼女がこれまで貯めた資金数千万円を、中国の田舎に学校を建設する為に寄付をした。そして彼女自身も、もっとこの国のことを学びたいという思いがあり、学校側もその精神に感嘆し入学を受け入れたのだという。
今では地元の人にも学生にも慕われとても良い関係ができている方だ。



色んな国、文化があれば、色んな人がいる。
上記の二つの話は聞き流してしまえばそれで終わりだが。
どっちの人になりたいか。

・権力をチラつかせ一瞬の快楽を選び、その他大勢の同志の面子をつぶすか。
・恥を恐れず過去から学び、正しいと思う事をし、今後自分だけではなくその他の未来にも貢献するか。

ここまで言ったら最初の選択肢は答えづらいだろう。
もちろん僕の友達全てが素晴らしい人たちだし、ほとんどの人が善良な人たちだと思う。しかし一方で僕らの気づかない中にはこういう人たちも世の中にはいるということを知っておかなければならない。人ごとでは済まないこともあるのだから。


facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎) http://www.facebook.com/coucou.kei

2012年6月26日火曜日

次の街アクシデントの末に・・。




大学生は土日も期末試験に追われてお尻に火がついた状態。
出るなら今だ。
そろそろ武漢を出ないともう本当にこの街に住んでしまいそうだ。

最後の一週間も結婚式やお祭り、バーベキュー、大學副学長との食事、日本語を学ぶ学生との交流会などに参加し、残りの時間は大切な友達と過ごし、充実した生活を送っていた。

次の目的地は武漢の郊外にある小さな街“漢川”。
そんなに遠過ぎず久しぶりに全荷物を載せての漕ぎ出しにはちょうど良い距離。
今回3週間泊めてくれた周さんと、前回冬に3週間泊めてくれたザンウェイさんが一緒にこの街まで走ってくれた。ある大學の自転車サークルや、個人的な友達も「出発の日は一緒に走る!」と言ってくれたけれど、彼らは来週、山のようなテストがあることを僕は知っていた。そして優しい彼らはテストがあろうとも、一緒に来てくれる事も知っていた。だからごまかして、内緒で出発させてもらった・・。



今日走った76km、『一路平安』のはずが、思わぬアクシデントに見舞われてしまった。僕ではなく、他の二人が・・。

中国は車は右側、歩行者は左側がルール。一応・・そうなっている。
僕らは20m程間隔を空けながら幹線道路の右側を走っていた。正面から50ccのバイク一台におじいちゃん、おばあちゃん、おかん、子供の4人がノーヘルでこちらに向かって来た。僕は「なんだよー・・」と思いながらもいつものようにぶつからないようよけ、ザンウェイもよけた。しかし周さんはよけ切れず接触し、バイクもろとも大転倒した・・。
僕とザンウェイは暢気に歌を歌いながら走っていたが、
後ろからの大声とぶつかった時の音で直ぐ気づき、振り返る。
地面に転がる五体・・オーマイガ。

Uターンして彼らの元に戻ったときにはもう喧嘩が始まっていた・・。
ここ最近毎日毎晩のように町中で喧嘩している人々を見ていたので、「あぁまたか・・。」と一瞬あきれてしまったが・・何、夏の暑さのせい?
そんなバカなこと言っている場合じゃない。





素人が状況から判断しても明らかに相手が悪いのだが、必死に大声を上げて抵抗するおじいちゃん。普段おしとやかな周さんも今度ばかりは頭に来て負けずに対抗する。ザンウェイは何も言わないが、小さくて少し頼りない周さんのすぐ後ろで筋肉をチラつかせる。僕は静かに救急箱を取り出し両者の間にすっと入り込み、「はい、座って、足出して。おじいちゃん。」「周さんも、肘見せて。」消毒して薬を塗っている間も僕の頭上では小競り合いをしている。大人の間に挟まれ、次第に泣き始める小学生の男の子。風船を2つ膨らまして渡すと少し落ち着いてくれた。
おばあちゃんも負けじと周さんに対して叫んでいたが、順番になると擦りむいた足をすっと出して来た。「大丈夫?痛かったね・・。」ちょっとの薬と日本語と笑顔で手当てして回った。



「子供泣いているでしょ。お互いごめんなさいと、ごめんなさい。それでいいでしょ!!」
最後は結局僕も入り、日本人だと言う事にビックリしていたが、それで逆に相手も諦めてくれた。
バイクは破損しエンジンがかからず、近くの修理屋まで押していく。最後何も言わずに立ち去った孫とおじいちゃんの背中が少し寂しかった。



一難去ってまた一難。
ザンウェイが僕の自転車に乗ってみたいと言った。
今まで荷物満載で乗れたひとはいなかった。いつも全くペダルが動かないか、1m先で倒れていた。
しかし、彼も自転車乗りだし、もうしばらく会えないんだと思うと気が許してしまい、彼のマウンテンバイクと一時的に交換した。
蛇行しながらも見事にこげている。後ろから見るとこんなに異様な光景だったのか。もはやこの大きさは自転車ではない・・。
自分の走る姿をザンウェイに重ねて想像をしていた。すると・・。
「ドーーーン!・・」
道路に空いた穴を避けようとしてバランスを崩したのか大転倒。

今日は道路に転がった人間を6体見た。

道路の真ん中で自転車の下敷きになったザンウェイを引っ張り出すも、膨れた荷物のお陰で大きな怪我無く済んだ。



目的地の場所に着いたのは夜7:30。まだ外は明るく、2月に走っていた当時、日暮れまでに着きたいと4時くらいから焦り出していたのが遠い昔のよう。

先月の新聞記事で、ある信頼できる友達のジャーナリストが記事を書いたところ、全国各地から泊まる場所を提供してくれるという声がweibo(Twitter)などを通して届いた。僕の考えや声が広く届くのはとても嬉しい事なのだが、もうメディアには必要がない限りでないと決めた。携帯番号も代えた。そのジャーナリストが最後と決め、対談以来、彼女の元に北京や広州・上海・香港など各地からメディアが殺到したが彼女はあっさり「自分の力で探してください。」と跳ね返す。カッコい。

今夜泊まらせてもらう家族もそんな経緯から知り合った善意に満ちた地元の方。今年大學に入る女の子とお母さん、その知り合いの6歳の女の子親子と暮らしている。その6歳の女の子がまた可愛いのだがいたずら好きで、僕がシャワーを浴びていてもペットのミドリ亀を持ちながら入って来たときは参った・・汗。エレベーターなしのマンションの6階の為、知り合いのお店に自転車と荷物を保管させてもらった。

ザンウェイ・周さんが武漢まで帰るタクシーを見送り、
今日は迎えに来てくれた人たちと韓国料理、という名の中華料理。
もうこの瞬間、ビールがあれば何もいらない、幸せ。



夜荷解きをしてみたら、昼間の転倒でMacBook Airのスクリーンが破損していた・・。でもザンウェイが死ななくて良かったよ。転倒直後、実はすぐ後ろからモンスターのようにでかいトラックが来てた。ホントこれからだってどうなるかわからない。
でも、僕のよく当たる“感”と“胸騒ぎ”はまだないから大丈夫だろう。


武漢・武昌 to 漢川
走行距離: 76.27km
平均速度: 17.6km/h
最高速度: 27.9km/h


☆お知らせ☆

ワールド携帯電話提供のスポンサーになって頂いているモベ

ルコミュニケーションズ様サイトに連載しているブログで

す。お時間ありましたら読んで頂けると幸いです。

リンク
http://www.mobell.co.jp/blog/2012/06/7105/




2012年6月17日日曜日

ー忘れてきたモノー



*写真と記事の内容は関係ありません

2度目の武漢に来る前、杭州に滞在していたときの事のこと。
夜中2時くらいに友達からQQ(中国版skype)の連絡が入った。その友達は上海で泊まらせてもらった人の当時のルームメイトで、今はアパートも職場も変えてはいたが、まだ上海に住んでいた。その彼女が週末田舎に出かけ、その帰り道いわゆる白タクならぬ白バス(違法営業バス)で帰る時のことだった。バスを乗り換えるときに、財布も携帯も全て入ったバックを、始めのバスの中に置き忘れてしまったのだ。

真っ暗な田舎道、白バスも行方をくらまし、帰る手段がない・・。通りがかりの人に助けを求めるがしばらく無視され続ける・・。すると声を掛けたある優しい青年が携帯を貸してくれ、QQを通して僕にSOSを送って来たのだ。
詳しい場所をチャットで聞くが彼女は半ば取り乱し「omg..omg(オーマイガー)」と繰り返すのみ。街の名前はわかったが、迎えにいく詳細な場所までは伝えきれず、そのまま携帯を返してしまったのか通信が途切れてしまった・・。 

*写真と記事の内容は関係ありません


電車とバスでそこから6時間程の場所。翌朝、場所が分かり次第電車に飛び乗り迎えにいこうと、パスポートを握りしめ外で待つが午後になっても一向に連絡が来ない。僕以外にも早く彼女の元に行ければと思い、杭州上海、上海周辺の友達にも事情を説明して現在地がわかり次第助けられるように備えた。

夕方近くになり、ついに彼女から連絡が入った。新しい番号だった。

「大丈夫?今どこにいるの??」
「うん、上海に帰れたよ〜!ごめんね心配かけて・・。」

どうやってお金も携帯もない女の子一人が上海に帰れたのか。
経緯を聞いて驚愕した。

彼女はその後助けてくれる人に巡り会えず、途方に暮れていた。
そして一か八か警察署に行ってみる事にした。そう、日本や外国だとまず最初に警察署に行くだろう。しかし、この国は盗まれても、困っても警察に頼るのはまず第一選択ではない。理由はお判りだろう。

歩き疲れ、泣き疲れ、ふらつく体にむち打ちながら警察署に着いたのは深夜だった。彼女は事情を説明した。そして警察が彼女に取った行動とは・・。

パトカーで近くのホテルまで案内し、従業員に彼女を無料でホテルに泊まらせる事をお願いした。しかも翌朝の上海まで帰るバスの運賃も支払ってくれたのだと言う。

なんて微笑ましい、素敵なお話。
最近これまでに増して悪いニュースばかり耳に入って来ていたので、彼女のこの財布事件が意外な結末で終わって嬉しいと同時に、この国で旅する事の安心感が少し増えた。

*写真と記事の内容は関係ありません


一方、最近日本でもSOSを出した人がもう一人いた。
Dariaちゃんだ。この日、関東を台風が直撃した。
横浜の仕事場から自宅藤沢までの電車が止まるかもしれないと言われ、急いで会社を飛び出し電車に乗るも、案の定、大船駅で止まってしまった。駅員に聞くも代替バスは出ないとのことでタクシーに乗車、高額を叩いて家に向かう。
すると・・鍵がない。会社に空のお弁当箱と一緒に忘れて来たのだ・・。
友達が住む僕のマンションに向かおうとするが、外にタクシーは走っていない。携帯の電池も切れた・・。大嵐の中歩いて駅に戻り、駅員にタクシーの番号を聞き公衆電話からタクシーを呼ぼうとするも千円札しか持っておらず。駅員に両替をお願いするも「いや、もう退勤時間過ぎてるから。」と冷たく断られる。仕方なく往復40分歩きコンビニで両替をしに行く。背が高く見えるハイヒールは美しいが豆がつぶれ出血。こんなにハイヒールを恨んだ事はなかった。コンビニの公衆電話でタクシーを呼ぶがもう空きのタクシーは無いと断られる。しかたなく駅に戻り雨を凌ぎながら夜を明かそうと思ったが駅員にどかされてしまう・・。暴風雨で風邪を引きそうだ・・。エアコンの室外機から少し温かい空気が出ている場所をみつけ、手をかざす。暗闇の向こうにふと目を凝らすと段ボールが一枚・・。自分を囲うように立てて、風を凌いだ。


寝れるわけがない。再びそれから1時間歩き、24Hやっている(はず)のマクドナルドへ。びしょぬれで、もはや傘など意味がなかった。シェルターになるはずのマクドナルド、着いた。しかしそこで言われたのは「台風のため閉店します。」
   ・・・。

もう泣きながら、飛び込んだのは交番。びしょびしょになりながらも事情を説明すると、警察官は大笑い。笑ってごめんねと言いながらも鍵屋さんに頼もうかと聞くが、お金が無いと言うと、それはダメだと断られる。
さすがに追い出す事はしなかったが、彼女をイスに座らせて、電車の始発までここで待つように言った。しかしそれ以上はなかった。

翌朝、始発に乗り友達が待つマンションへ駆け込む。彼女達は温かいシャワーと服、毛布を用意してくれ、服を洗って乾かし食事も作ってくれた。長い地獄のような夜を越え、報われた瞬間だった。
ありがとう、愛ちゃん、みずきちゃん。

*写真と記事の内容は関係ありません


しかしどうだろう、この二つの出来事。
普通皆が想像することと逆の展開だったのではないだろうか。

失くした人が悪い? ・・視点はそこじゃないでしょ。そういう視点でしか見れないひとも悲しい事にいる。皆に起こり得る事で、問題は落ちた後、そどう這い上がるか。

なぜ、駅員は冷たくあしらい、凍える彼女を追い出したか。なぜ警察官はずぶ濡れで泣いている彼女を笑い、それ以上の手を差し伸べなかったのか。
それは、ただその人の優しさが欠如していたからとか性格の問題だけではないのではないだろうか。

日本には「フレキシブル」(柔軟性)が少し欠けているのではないかと思う。仕事の規律や退勤時間だけを気に掛ければ良いのか。自分のノルマだけをこなし、給料をもらい、家に帰れれば良いのか。そうじゃないでしょ。
通常の業務+α何か社会に貢献しようとしている企業と、利益重視の考えだけが先行している企業と、どちらが今後成長していくのだろうか。一見後者にも見えるが、今はバブルではない。結局のところ結論は明白だ。
企業レベルでも、個人レベルでも同じ事が言える。お金がたくさんある人はその時はもしかすると周りに人が集まるかもしれない。しかしもしお金が無くなったら?会社がクビになったら?父親の会社が倒産したら?
その時が「本当のひとりぼっち」だ。

反対にお金はなくともいつも人に優しく、人が困っていることにすぐに気づける。そんなひとの周りには始めから人が集まるし、本当に困った時、自然と手を差し伸べてくれる人たちがいるだろう。そして例えば、万が一倒産しそうになった時、一人ではどうしようもできない困難が迫った時、きっと助けてくれる人たちがいるだろう。

話が一人で盛り上がってしまった。
つまり途上国と呼ばれる国は基盤が安定していないという面もあるが、良い側面を見れば、物事をまだ少し柔軟に考えることが出来るということ。日本の場合、例えば学校、「年間行事予定表」に通りに事が進み、もし新しいイベントを入れたいときには6ヶ月前から申請し、山のような書類と親方の判子が必要だ。イレギュラーへの対応に戸惑う職員はアワワする。
マニュアルに載っていないからだ。
マニュアルがない、あるいはマニュアルはあくまで基本としてその都度臨機応変に対応できる人たちがこちらの国々には多い気がする。もっとも、マニュアルがあってもないような世界なのだが・・。

どちらが良いとか正しいという事は言えない。
規律が守れないから秩序が保てないのも事実。

しかし、僕が思ったのは『お互いから学ぶ事』って意外にもとても多い。
先進国だから全て先を行き、現在ある何もかもが正しいと思ってはいないだろうか。発展の過程で何か忘れてきたモノはないだろうか。

旅をしながら、これまで出会った事のない、純朴で素朴な何かに触れている気がする。


我以外是皆我的師。(自分以外は皆、自分にとって先生)
(祖父の座右の銘)


そしてお互いに良いところを共有し合った末に「ありがとう。」と相互の感謝の気持ちが交わされれば、きっと、これまで以上に良い関係が築けるのではないかと思う。




日中国交正常化40周年、これまでも、これからも、永遠にお隣さんです。




2012年6月15日金曜日

ー 誕生日は誰のために ー



どこにいても歳はとってしまうんだね。
ついに来ました、誕生日。

去年のクリスマス同様、出発時思っていたのはきっと誕生日はどこかの山で動物さん達と過ごす事になるのかな。酔っぱらってしまえば、森の動物さんも居酒屋の酔っぱらいもさほど変わらないし。
それも悪くはないかもしれないけど。予感は嬉しい事に、見事に外れた。



前回湖北省武漢で過ごしたのが一ヶ月。今回再び武漢に戻って来て一ヶ月。合計2ヶ月この街に滞在していることになる。自転車盗難・大捜索の事件を始め、思い出も友達も特別多い場所。だからここで誕生日を迎えたいと思った。



地元の友達と外国人達がバイクでいくつかのオススメのバーやレストランを案内してくれて、パーティーで使う場所を探した。しかし結局最終的に選んだ場所は「森」だった。



武漢で一番有名で綺麗な湖「東湖」の湖畔にある秘密の山小屋。ローカルしか知らない、タクシーでしか行けない場所。電気も水道もないけれど、まるで緑の額縁から覗いて綺麗な絵を見ているような景色。綺麗な湖と、数十メートル先にぽっかりと浮かぶ島。一瞬で決めた「ここにしよ!」



2日前に声を掛けたのに60人以上もの人が集まってくれた。遠いところからは夜行列車で6時間かけて来てくれた人も・・。 (;;)アリガトウ・・。



場所を知っているのは数人しかいないので、彼らがバイクで先導して集合場所からマイクロバス2台、タクシー数台、自家用車数台で移動した。夕方のラッシュアワーの中、彼らのバイクが速過ぎて中国のタクシードライバーですら見失い、バス1台と、タクシー2台が迷子になった(汗)
そんなトラブルも乗り越え。。

作成:友達AK


百数十個のキャンドルの光の中、バーベキューパーティーが始まった。
持ち寄ってくれた手作りの料理、楽器と音楽、たくさんのプレゼント、スイカ割り、そしてもう外せないのがケーキの付け合い戦争。前回ボランンティアリーダーの誕生日のときに僕がケーキバトルの火付け役になったのでそのリベンジをしようとニヤニヤと待ちきれない顔をしている男達・・。ビールのシャワー・・。



こういう時にもレインコートを持参するべきだと学んだ。


あぁ・・。



さようなら27歳。
とても濃くて幸せな一年だったよ。
今年は何が起こるのかな。


武漢の大好きな友達が、歌を歌ってレコーディングしてプレゼントしてくれた。きっとこの街を離れたあと、夜寝る前なんかに聞いたら、毎晩枕を涙で濡らして寝るんだろうな。聞く度にみんなのことを思い出すよ・・。ううん、聞かなくても。


でも、そう、「誕生日」って自分がお祝いされて主役みたいだけど、本当は違うんだよね。

「生んでくれたお母さんに感謝する日」

本当は自分たちのお母さんが主役にならないといけないんだと思う。
でも照れくさいから、なかなか直接言えない・・。
知ってるよ、毎日使い慣れないipadでブログを見てくれているって。
だからここで言うね。


『お母さん、僕を生んでくれてありがとう。

お母さんお父さんが大切にここまで育ててくれたから、今こうして元気に旅も出来ているよ。

昔から迷惑と心配ばかりかける息子でごめん。高熱が出て苦しいときに、一晩中枕元でタオルを絞っておでこにのせてくれたのはお母さんでした。
手術しないといけないくらい腰が痛いのに、毎週末車を運転して新潟まで釣りに連れて行ってくれたのはお父さんでした。腰痛をかばって僕らの為に重い荷物を担いでくれたのに、その歩き方をペンギンみたいだとバカにして、本当にごめんなさい。
こんなバカ息子だけど、これからもよろしくね。
これからも体に気をつけて、素敵な第二の人生を楽しんでください。

誕生日、おめでとう。』







2012年6月1日金曜日

ー命の大きさー




飼い主に放置されたり、街中で怪我を負ったり、病気で助けが必要な動物達を保護している施設がある。そこは完全に人々の善意、ボランティアだけで運営されており、僕が武漢で知っている施設だけで3箇所ある。
僕がこの日朝他のボランティアとともに訪れた場所は市街地から2時間程バスとタクシーを乗り継いで行く小さな農村。200匹以上の犬が保護されている。


こちらの施設に向かうバスの中。
大勢の人で混雑する車内。
ボランティアのリーダーである年配の女性はメンバーに席を譲り自らはずっと立っていた。みんな気にして代わろうとするも、「構わないですよ。」と言い、1時間も立ちっぱなしだった。他のボランティアの人々は途中で乗車してくるお年寄り達に席を譲り、乗り降りする時の高い段差でも手を差し伸べていた。

「普段の生活から他人の事を考える。」
そんなことがあたりまえに出来る彼らを見ていたら1日嬉しい気持ちになれた。

この大学生の男の子は怪我をしたり病気の犬をこれまで12匹も保護し、薬を与えたり、一緒に遊んだりと、とても面倒見のいい優しい青年だ。人々の寄付でエサや施設の運営をまかなっているが、ボランティア個人でもまた出資してエサや薬代に充てている。

車二台一杯に積まれた重いエサの袋を担いで山の中の施設まで運ぶ。かなりの力仕事だが、女性も男性に負けずに頑張っていた。
ある女性に「なぜこの活動をしようと思ったのか。」を聞いてみた。

彼女は笑顔で言う。
「何か他人の為にできることをしたい。困っているのは人も動物も、子供も大人も関係ない。」
そんな優しい彼女達に心を打たれた。

だいたいの人はここ以外の他の活動もしている。もちろん、組織に属して行う事だけがボランティアではない。普段から他人の事を考える。バスでの一件を見ていてもそれが実証されている気がする。




この活動に対してネットである中国人が言った。
「動物の命なんか後でいい、人を先に助けてよ。」
この人は自分のことしか考えていないのだろう。実際何も行動には移さず、無名で批判的な言葉だけは出てくる。実際命に小さいも大きいもない。緊急時のトリアージじゃない。

他人を好きになれない人は自分も好きになれないはずだ。
きっとそういう人は鏡に映った自分の姿を見るのも嫌いだろう・・。


また武漢大學のある東湖湖畔に立つ施設、こちらで生まれた生後1ヶ月の赤ちゃん7匹と、2ヶ月の赤ちゃん4匹、1.5才のハスキー君の里親を捜している。

Sina WeiboTencent Weibo(中国版Twitter)のアカウントを作るように各会社から再三依頼されてから、ついに最近始めるようになった。これらを利用して広く呼びかけを行っている。

さすがネット社会・・反響がすごい・・。
Twitterに慣れない僕はどう対応して良いのか・・周囲に聞いて教えてもらう毎日。

三日間徹夜で返事を返していたらまた体調を崩してしまった(ToT)

 家で犬や猫を飼っている人たちはわかるのではないだろうか。彼らはモノでもないし、”命ナンカ”と吐き捨てられるようなことはないはず。きっと家族の一員のように可愛がられているだろう。うちの父なんて、僕よりも実家の犬の方に話しかける回数が多い。寂・・




 人も動物も安心して平和に暮らせる社会になることを願っています。 


長野の実家のサクラ、元気かな〜。会いたいよ。



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最新新聞記事(杭州都市快報):http://hzdaily.hangzhou.com.cn/dskb/html/2012-05/31/content_1281494.htm