「どこの少数民族ですか?」
「雲南のひとですか?」
実はそう声を掛けてくる人は少なくない。
インドのパンツ、タイのポーチ、ネパールのボトルケース、ミャンマーのターバン、チベット仏教のジュツ、そして伸びたあご髭とちりちりパーマ。
発音が面白い普通話(北京語)。
この見た目などからまずこちらの人は日本人とは思わないようだ。
まず日本人と言えばスーツかゴルフシャツまたはYシャツをパリット着ているイメージなのだろうか。尊敬する須藤元気さんのworld orderを見て、スーツで旅するのも面白いなと思ったこともあった。
でも結局自分なりにカッコいい旅人らしく、動きやすく過ごしやすい格好をと思いながらたどり着いたのがこの世界中から集めたアイテムだった。
ちなみに中国には55の少数民族が住んでおり独特の装飾文化を持っていて、その他の大半を占める漢族はとてもシンプルな服装。特に男性は例外なくシンプルだ。ある中国人の友達は北朝鮮の人はいつも暗い色の服を着ていてつまらないと言っていたが、あまり大差はないような気もする・・・。
持って来た服はどれもあえて新しく買ったものではなく、これまで何年も着古して愛着があるものばかりだ。
でも一着だけ、綺麗な濃い紺色のシャツがある。
それは一時帰国の際におかんが、
「講演会やるのにそんな汚い格好で恥ずかしいじゃない。」
と買って持たせてくれた新調もの。
以来、白いシャツと小さいネクタイも持ちフォーマルな場で着るようになった。
靴も旅の途中でもらって2足もあるのだが、冬の間でもサンダルを履いていた。そのせいか出発時に買ったサンダルの靴底はベロンとはげてしまった。
でも壊れる度に凧糸と大きな針で縫って何度も何度も直して使っているので、もうここまできたら旅の仲間、捨てられない。(写真:一番下)
一番お気に入りのTシャツの背中と肩には先週も大きな穴が空いてしまった。
新しい街で出会った人が「ど、どうしたのそれ!?」とびっくりされてしまったが、ホツレや穴を縫って直して一緒にここまで来た服やズボン、バック達には特別愛着が湧く。
一つ一つの穴や傷には隠された僕しか知らないストーリーがあって、見るたびに苦労した事などを思い出し短いノスタルジーに浸ってしまう。
フォーマルな服の他に、季節に合わせた服。
しかし秋冬服など、今は必要ないので今後行く先の数千キロ離れた街の人の家にもう送らせていただいた。服だけじゃなく、今この都会じゃ使わないだろうなと思う物も中国数カ所に送って保管していただいている。さもなきゃ重くて・・。
あとは自転車用の特別なパットが入ったパンツなどはこの自転車旅ならでは。大切なお尻を守ってくれる・・。昨年春、太平洋から日本海まで縦断したときにその特別パンツを履いていなかった為にトイレも辛い思いをした。
ちなみに今までで一番カッコいいなと思った旅人の服装は、ホーチミンのゲストハウスで会った日本人の男の子。サンダルに麦わら帽子を被った彼は足の先から頭のてっぺんまでどっからどう見ても海賊王ONE PEACEの「ルフィー」だった。
服の話はそれくらいにして。
写真と現在には時差がある。これは武漢の敬老院(老人ホーム)での写真。7月中旬現在は田舎を通り抜け、中国の真ん中、河南省南陽市にいる。
比較的大きな都市で、ボランティアの拠点もこちらに移した。しかし夏休みに入ったせいか武漢で見られたような学生ボランティアの姿が今では全く見られない。
ボランティアに集まった人たちは主婦・会社員・学校の先生などに混じって高校生や大学生などの学生も多い。しかし次の月になるとその学生はもういなかったりする。というのは大学によってはボランティアを数日間するとポイントがもらえるという制度があり、残念ながらポイントが貯まったら辞めてしまう子達もいる。そういう時、せっかくおばあちゃん達と仲良くなれたのになって、残念になる。しかし僕も人ごとではない。定住しない旅人故、いつかはその街を離れる時が来る。でも離れなければいけない訳ではない。だから、おばあちゃんに「また来週も来てくれるのかい?」と言われると「うん!」と、また次ぎの週も来てしまう。
やっぱりひとつの街に1〜4週間程は居たい。
滞在期間によって出来る友達の輪の大きさも桁違いだ。
せっかく出会った人達なんだもん。一緒に笑って泣いて、時にはつぶれる程飲んで、もっとお互いの事を知って、次また必ず会えるように忘れられない楽しい思い出を作ってその街を離れるんだ。
でもその「引き際」というのは難しく、未だに毎回悩むところ。
なんでも出てくるドラえもん。
お金が無いから知恵と努力でなんとか乗り切る人。
唐県鎮 to 唐河県
走行距離:103.89km
平均速度:18.4km/h
最高速度:40.5km/h
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