2012年10月24日水曜日

良いところも悪いところも。


(google blogger のストレイジ容量がなくなり写真が掲載できなくなってしまいました。容量増す事を試みるもエラーが出てしまい、しばらく文字だけの更新となります(><;)
日本のブログ更新は一ヶ月遅れです。) 


 北京から雲南省に戻る日が来た。10/24。航空券を3度も変更した。
ぎりぎりまでとにかく北京で多くの人に会った。去る前日も取材朝から4件。夜中は支援者から支援物資を受け取り、肝心な自分の荷造りを忘れ朝方まで起きていた。

北京で出会った仲間達が集めてくれた支援物資の衣類を持てる限りと自分の荷物、合わせて90kgを抱えマンションをあとにした。大き過ぎてドアを通過するのに困っていたら出口でおじいちゃんが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
エレベーターではおばあちゃんが手伝ってくれた。ここに移り住んで一週間目くらいに出会ったおばあちゃんで、ひとりで重たいオルガンの片側だけ浮かせてガリガリと地面を引きづりながら歩いていたので一緒に運ぶのを手伝った隣の部屋に住んでいるおばあちゃんだ。
お話をしていた時に仕事を聞かれ、男士(男看護師)と言った時、彼女の表情が急に輝いたのを覚えている。中国では男性看護士はすごく珍しいらしい。知り合いの看護学校では約1000人学生がいて男性は3人だったという。



前の晩、weiboで安全のため詳しい場所は書かなかったが再び被災地に戻ると書いたら北京空港と昆明空港、その道中の地下鉄に支援者が集まってくれて荷物を一緒に運んでくれた。
支援物資を一緒に集めてくれた友達も仕事の休みを貰って空港まで一緒にきてくれた。

空港での預け荷物はもちろんオーバーウェイト。だけどこの荷物全部雲南の被災地に持って行くと説明したら7つの荷物全てタダにしてくれた。
交渉で何でもなんとかなってしまうのが中国。


北京、ものすごく忙しかったけど、新たな出会いが盛りだくさんで楽しかった。今回飛行機での北京往復だけど局が費用を負担してくれなかったら絶対来れなかった。財布、パンツどれをひっくり返したってそんなお金ない。日本に帰るお金だってない。今年の夏、日本の友達同士の争いがあり、だいぶその時失ってしまった。でもなかったらなかったで知恵を使ったそれなりの生き方がある。



Weiboを見て昆明空港に車で迎えに来てくれた男性と大学生達。
アシスタントの救世主も電車で38時間の苦労の道のりを乗り越え朝到着していた。
雲南特産の米线を食べる毎日がまた始まった。




昆明滞在中は4件の家に泊まらせていただいた。
最初の家は僕のweiboファンに紹介していただいた友達。被災地である昭通市出身の方でとっても親切にして頂いた。


二人目は以前雑誌の取材で一緒に被災地まできて行動を共にした方。
今ではもう毎日連絡を取り合ういいお友達。


三人目はcouchsurfing. アメリカ人の彼と可愛い猫2匹と暮らす。猫の名前、黒はチャーリー、茶色はネコバス(トトロの)。
彼女は早朝の仕事の為早々に寝たが、僕とチェンレイで書類を作成している後ろで、相変わらず男達は夜遅くまで風船ヘリウムと危ない煙の臭いを漂わせていた。


四人目は北京のglobal times記者さんが紹介してくれた彼の親友。
バリバリのビジネスウーマンだったが今は昆明の静かな大学タウンでおしゃれで可愛いカフェを開いて人々が集まる賑やかな憩いの場を作っている。



どこの国だって、どんな時期だって、優しい人達はたくさんいる。
僕は良いところも悪いところも含めて、本当の中国を知っているから、
中国にいるんだ。

みんなありがとう。



被災地イリャンに戻る前に昆明でビザの更新をしなければならない。
スムーズに行くと思ったビザの更新。
春に更新したときには割と簡単にいった。しかし今回、
こんな大変なことになるとは思ってもいなかった。


河原啓一郎 keiichiro kawahara
Facebook: http://www.facebook.com/coucou.kei?ref=tn_tnmn


0 件のコメント:

コメントを投稿