2012年12月2日日曜日

平等な支援とは




5年に一度の党首を決める話し合い(通称18大)を前に政府が敏感になっていた。(実は5年前から決まっているのだけど・・)この一ヶ月程前から全国のメディア記者は政府に都合が悪い事は一切書けない。書いても削除されるか、ヒドいときは内密に逮捕される。
日中関係の下りは特に茶を濁す話題トップ3には入るので、静かに音を立てず、再び被災地に行った。

日産さんになぜかもう一人便乗してきたものだから人間8人と大量の支援物資で二台の車は天井までいっぱい。泊まらせて頂いたカフェオーナーと商店街の新しいお友達に見送られ昆明を出発。
台湾風味フライドチキン屋さんから世界一上手いと自慢するチキンを持たせてくれた。

途中昼食で立ち寄った高速のレストラン、超高かった。運転手さんチョイスで入ってしまったが、僕らの一日の予算が一食で消えてしまった。探せば地元の食堂で5分の一ほどの値段でお腹は満たせる。僕らはこんな高いものを食べにここに来たんじゃない。店を変えるだけで、どれだけ被災地の子供にノートやペンを買えるだろうか。もうこういうのは最初で最後にしよう。




9月に見た被災地が見えて来た。街の様子は特に変わったように見えなかったが、変わった事と言えば道路を列をなして歩く軍人が少なくなったことと以前より気温が下がったことくらい。
スーパーで買ったカップラーメンは洪水で泥水を被ったため時々外装のビニールの中まで砂が入っていた。そういうときは鍋に中身を移し替えて食べた。
標高が2000mを越えたあたりから霧が立ちこめ一寸先も見えない。スピードを緩めて走るも、突然現れる対向車への恐怖から車の中はキャーキャー大騒ぎ。

夜8時頃到着。現地スタッフ老王さんや任田田さんが待っていた。荷物を倉庫に移したり宿を探している間、僕は人目につかないように車の中で待機していた。また軟禁状態。車から宿までの短い距離もジャケットで顔を隠して物々しく移動した。
僕が思っている以上に周囲の人は敏感になり気を使ってくれているのがわかるが、本当にここまで必要なのか。時々よくわからなくなる。
9月は多いときで20人以上の政府や警察が一緒に行動してくれた。今回はノイズを立てないように来たため、社会的な守りがない。自分の身は自分で守らないと。


2つのキングベッドがある少し大きな部屋を5人でシェア。チェンレイが一つ、夫婦が一つ、僕と小白さんは床に寝袋を引いて寝た。備え付けのパソコンはウィルスに感染しポルノ画像と広告のポップアップが止まらない。



昆明の市場で購入したペン、消しゴム、鉛筆、鉛筆削り、キャンディーをペンケースに入れて1セット、合計100セット作る作業を皆で夜遅くまでした。

被災地2日目、全校生徒200人の小学校に行く事に決めた。
100セットの文具をどう200人に分配するか。
チェンレイは貧しい子だけを選んで渡すとか、先生に全て渡してあとは任せるなどの方法を考えていた。
その後の事は考えていなかった。

余るのはいいが、足りないということは避ける
これが支援物資平等配布の鉄則。
消しゴム一つ、おにぎり一つでも大きな争いになるよ。
どんなに小さな事でもそれが想像もしていなかった問題になる。
配る方は楽だ。渡してしまえばいい。しかし、もしそれが行き渡らなかったひとがいたとしたら。妬み恨みを生み出す根源となる。誰がそれを防ぐ事ができるのか。配布する側であるボランティアである。

だからもし一学年と二学年に配布し、三学年分が中途半端だったら、三学年分はそのときは配らず、十分に人数分揃えてから配布する。



阪神大震災や東北で経験した過ちを繰り返してはいけない。災害大国日本からきたからこそその経験をここで生かしていかなければならない。

支援物資や義援金て寄付するまでは簡単だけど、その後必要としている方に行き渡るまでのプロセスはとても複雑な事情が絡み、だからこそ慎重にならなければいけない。


【新聞news】:
Global Times:    volunteer without borders


facebook: (keiichiro kawahara,
河原啓一郎 http://www.facebook.com/coucou.kei 

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