2012年1月24日火曜日

-玄関で爆発-



まさやさんが買出しに行くと言い残し家を出た直後だった。
玄関のすぐ近くで爆発音のような、機関銃の銃声のような音が響いた。10秒ほど続いただろうか。とても長く感じた。

僕は部屋でNHKラジオを聴いていたがその音すらかき消され、全く聞こえなかった。慌ててカーテンを開けるも、窓の外は白煙で何も見えない。

またある日の夜中1時ごろ、続く停電でネットも使えず退屈していたとき、新鮮な空気でも吸おうと外に出た。氷点下を下回る寒さの中で大気と唯一触れることを許すのは、顔をぐるぐる巻きにしたマフラーと毛糸の帽子の隙間からでた二つの目だけ。高級マンション街の夜中は怖いくらい静かで、時々懐中電灯を持って見回りに来る警備員の足音とトランシーバーの音だけが遠くに聞こえる。

その静穏な夜をぶち壊すかのように、目もくらむ程の眩しい閃光と、鼓膜が破れるんじゃないかというくらい大きな爆発音が、自分のすぐ10mほど先の車の隣で起こった。そしてその直後、僕を挟んだ反対側で新たな爆発音。今度は長く30秒ほど続いただろうか。
マンションに反射するフラッシュのような光と反響するすさまじい音だけが確認できる。
漂う火薬の臭いと飛んでくる何かの破片がたまらず座り込んだ。

紛争でも始まったか。いや、まだここは中東じゃない、中国だ。

確かに南昌の政府ビル前には毎日のように政府に反感を持つ国民が集まり集会をしていた。
でもここはそれとも遠く離れた高級マンション街だ。じゃああの銃声のような爆発音は一体・・。


実はこれ。


中国正月恒例の爆竹。

昨日も爆竹、夜中も爆竹、早朝から爆竹・・。
家の前から道路から。もう爆竹はうんざり。

杭州の外国人が「中国の正月は中国にいたくない。花火花火花火でうんざり。今年はどこに逃げようかな。」と言っていたのを思い出す。
僕は花火と聞いて逆に楽しみでしょうがなかった。きっと毎日綺麗な光景が見れるんだろうなと期待していた。

しかし、いざ正月を迎えてみれば・・なんだこれは。
花火ではなく、すさまじい音だけ。

「蜂の巣にされました。」

と冗談を言っていたまさやさんも、こう毎日爆竹が続くとなってはもう冗談なんて言っていられずラオスに脱出。杭州のイタリア人、マルコ夫婦もフィリピンへ脱出、もうすぐ今泊っている家の夫婦もインドに脱出。

みんな~・・。

僕はというと・・。
陽江(Yujian)さん夫婦と共に彼らの田舎の家族に新年のあいさつ回りに行かせてもらった。電気は通っているものの水道は井戸をコキコキしながら水を出し、煮炊きは炭を使った台所での調理方法が今も続けられているのどかな田舎だった。
冒頭の写真のように元気な子供達と追いかけっこをして遊んだ。その僕らの横ではお母さんがニワトリと追いかけっこ。捕まえた。今夜の晩御飯になってしまう。

どんな田舎でも時代の最先端を行くスマートフォンの画面をタッチしながら歩く若者が見れるのが面白い。


「新年好!新年好!」「新年快楽~!」

この日だけで村内の18軒もの親戚の家をお酒やお菓子などのお祝いの品を持って周り、昼食だけでも3軒の家でご馳走になった。
またこれがお正月だからハンパなく素敵に豪華な料理が並ぶ。もちろん2軒目以降はお腹いっぱいで、一品一口が精一杯。

横浜中華街でこの量の料理とお酒を注文したらとんでもなく高いんだろうな。
食べるときに食べておかないと。なぜならあと一週間は続くお正月モード。店という店がほとんど閉まってしまう。スーパーも、食堂も・・。
外国人の友達からは飢え死にしそうとのSOSメールが始まった。

体調も天気も何とか回復したので、予備の食料を持って明日には出発したい。


そういえば、年末(22日)の夜はこの南昌の家に親戚がみんな集まった。

その中に95歳で元気満々のおじいちゃんがいて、腰はまっすぐ、お酒は飲むし歌も上手。
そのおじいちゃん達の血圧を測ってあげたり、三線を弾いてみたりしたところとても気に入ってくれ、僕が部屋に戻った後もノックして入ってきた。陽江さんもわからない地方の言葉を話すので僕なんてチンプンカンプン。それでも全身を使ったジェスチャーで色々伝えようとしてくれたのが嬉しかった。

第二次世界大戦では日本と戦い、1950年の朝鮮戦争ではアメリカと戦って来たのだそう。でもおじいいちゃんは「そんなの過去の話だ。乾杯しよう。」と言ってくれる。

国営テレビをつければ毎日のように中国と日本の戦争のドラマや映画が流れている。これも国の政策、まるで洗脳のように、国に対する怒りや不満の矛先を外国に向けようとしているのだろうか。

しかしその反面、一般市民の日本に対する考え方はもっと穏和で、オンラインでは日本の映画やアニメ、音楽がとても人気。最近でも卓球の福原愛選手の生い立ちからの特集番組があったり、大阪下町の旅特集なんか放送していた。

中国人から見ると、マナーや技術、他人への信頼など色々な面において日本人の質は高いと言われている。かつての憎しみ合いから、今ではこうして尊敬される部分もでき、お互いの国の距離が近くなって来ている。にもかかわらずまだ歯止めをかけようとする人たちがいる。一番しっかりしなきゃいけない人たちでしょ。

富を得た人々や知識人と呼ばれる人々はチャンスがあればすぐに国外に移住してしまう。
さあ、この歪んだ社会、いつまで続くかな。


おじいちゃんと会った最後の夜、「道中気をつけて!」と長い長いハグとほっぺにキスをしてくれた。目には涙が浮かんでいた。
複雑な歴史と世代を越えてこうして巡り会った出会いというのはとても不思議。70年前、孫の世代でこんなハグが生まれようなんて誰が想像しただろうか・・。


今までお世話になったお礼に振舞わせていただいたいつかトルコ人から習ったトルコ料理。


タイトルにびっくりした人ごめんなさい(><



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