「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2013年2月2日土曜日

もうすぐブログ更新



いつも読んで頂きありがとうございます。
ブログの更新が停まっております。
weiboやfacebook、メディアなど他の媒体に時間を取られるようになりなかなか日本の自己ブログの更新が追いついておりません。ごめんなさい・・。

今後まもなく更新される11月以降の内容は、
・中国のレスキューチームと共に、ミャンマー北部で起こった地震の支援へ。
・ミャンマーの孤児院で住み込みのボランティアとそこで過ごした早いクリスマス。
・ミャンマーの旅。
・北京での講演会、TED等のために一時中国へ。
・クリスマスイブから年末までタイの離島で毎日テント生活。
・タイの旅
・シアヌクビル(カンボジア)で過ごした新年。
・プノンペン(カンボジア)の幼稚園で泊まり込みボランティア先生。
・カンボジア、ローカルライフの旅。
・陸路ラオス国境越え、メコン河に浮かぶ島、ドンデッドでハンモック生活。
・ラオスの旅。
・式典に招待され再び中国・天津へ
・北京上海
・2月中国は正月休み、2月頭に僕も一時帰国。新しいビザの取得と壊れた装備の修理。
・山梨・京都で講演会
・フェリーで再び上海へ。
・寧波でTEDスピーチ
・上海復旦大学で講演会。
・広西省南寧へ、NGO支援直前に政府に拒否される。
・広西・那佐の小学校にてボランティア・支援物資を届ける。
・四川地震発生、政府と民間の間での混乱
・雲南省の秘境、独龍江にて日本NGOが支援する小学校へ
・再び雲南地震の被災地へ スポンサー日産の協力の元

・雲南省怒江福貢の無国籍の難民数万人が暮らす 地域で生活
・無国籍難民の支援開始、中国全土からボランティアと6トンの衣類などの支援物資収集・配布
・西安の自転車に戻り、青海省南シルクロードを新疆ウイグル地区へ向けて走る。標高3500mの荒野へ。
・タクラマカン砂漠縦断達成 - 砂と乾きの土地
・北新疆ウイグル地区 - 中国の中のウイグル人の実際
・カザフスタン - 国境を越えるだけでこの違い
・キルギスタン - マイナス15度、他の惑星を見ている感覚
・弟結婚式、廈門大学・東京多摩大学講演会
・ウズベキスタン - なぜ中国人は世界中でこんなにも嫌悪されるのか
・トルクメニスタン - 行く価値もない国
・イラン - 人種差別と間違ったフレンドリー
・アゼルバイジャン - 春夏のコーカサスを逃したら何もない
・アルメニア - ひとりぼっちの国
・グルジア - ワイン・ビール天国
・トルコ - クルドと難民とプライドの地
・ギリシャ - ギリシャの意地
・ブルガリア - ヨーグルトだけじゃない
・マケドニア - 緑の国
・アルバニア - 暗い過去


・ウズベキスタンビザ情報
・トルクメニスタンビザ情報
・カザフスタンビザ情報
・キルギスタンビザ情報
・イランビザ情報
・アゼルバイジャンビザ情報
・アルメニアビザ情報
・中国にて【十大感動】のひとりに選ばれる。




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助け合い×自転車世界一周旅

kei (河原啓一郎)



2012年12月5日水曜日

もう寒くないよ。


この日は山間部の小学校と孤児院、一人暮らしの老人が何人かいるという村へ支援物資を届ける。
提供頂いた日産の車が一台昆明に戻るので全員を被災地までは運べず、僕とチェンレイが街に残り、北京3人と現地スタッフだけで向かう。麓の街から片道三時間の山道を抜け、 村に到着。しばらくして、電話で情況を聞いた。
大都会北京から来たシュウちゃんは泣きじゃくりまともに話せていない。彼らの想像を超えていたそうだ。僕らはコートを着込むくらい寒いのに村にいる子供はまだ半袖を着ている。セーターを着ている子供の袖は破れ、顔や手は黒ずんでいる。


 もともと一人で山の中で暮らしていた一人の老人。地震で家が壊れ、今は雨漏りして内側がカビだらけの防水でない仮設テントとベッドが一つだけの場所で暮らしている。土砂崩れで農地もなくなり、幹線道路から離れているところで生活しているため支援物資も届かない。食事は一番近くにある知り合いの家の人に分けて頂いているという。



老人に洋服一式を渡した時、彼は涙を流しながら、
「ありがとう、ありがとう。」と何度も繰り返したという。
またこれを背負ってぬかるんだ山道を2時間以上歩いて家に戻る。彼が帰るとき見せた背中が寂しくて忘れられないと、友達は涙しながら教えてくれた。


 
電話で情況を聞いて、実際に必要で足りないとわかったものをリストした僕らは商店街へと向かった。冬の暖かい靴下を大人子供遭わせて500人分、キャンディーを7kg( これは僕からのプレゼント)、女性のサニタリー用品などを買えるだけ買った。

立ち寄ったある小さな雑貨屋の店員が、北京から来たと話したら飛び上がって喜んで来た。 そこで僕がまだ北京にいたころ、ある昭通市(被災地の一つ)の小学校の先生とメールで話した会話を思い出した。
「北京かあ・・北京は子供達の憧れです。」

首都とはいえ遠く離れたここ雲南の田舎の街では北京は憧れの街だった。



 山から下りて来たみんなと合流し市場へ向かう。値段交渉をしながら100人分の子どものダウンジャケットを買った。同じ村人同士の優しさだろう、明日子ども達へ届けると言うといくらか安くしてくれた。そして偶然街で出会った前回の被災地を訪れた時に一緒にボランティアをした地元の男の子も地元の言葉を通訳してくれた。僕と同じパーマ頭で、彼はもっと拉麺ぽいのでカップラーメンという名前がついた。彼もこの日から一緒の仲間に。


 次の日、車が足りないので一台レンタル。朝宿の前に駐車して荷物を積み込んでいると、三輪バイクの男がコツンと車の後ろに当ててきた。1ミリ程塗装についた傷。20元程で修復できるだろう。しかし男は叫びながら200元を請求してきて、友達が払ってしまった。中国の田舎ではよくある詐欺だが、後で聞いた僕は腹立たしくてしょうがなかった。友達はきっとモメて大事になるのを避けたかったのだろう・・。


この日の支援場所は、別の村の小学校と、さらに山奥深くの村。
前日に買ったダウンジャケットや靴下、北京で集めた残りの洋服一式を全て配布する予定。

今日からもう一人仲間が増えた。
500人分の子どもの可愛い“手袋、マフラー、毛糸の帽子”の3点セットを乗せ、はるばる広州から車で丸二日かけてきた男性だ。車の窓に解りやすく「○○島は中国のだ!」というステッカーが貼ってあったがきっとこれも暴徒化した無秩序国民からの車の破壊を避ける為だろう。最近良く見かけるステッカーだ。
でなければヒドい時には日本車に乗っているだけで窓ガラスを割られ引きずり出され、集団に殴られ数ヶ月たった今も意識不明で病院で眠っている人すら出て来た。
広州の彼は、話した限りとても優しい男性だった。



韓国製の車に乗った先生の車も含め、荷物を満載にした三台の車が山道を登る。しかしこれまで以上に厳しい坂道が続き、何度も止まってしまった。しかしなぜか不思議な事に日産のジープだけは軽々と登ることができ、他の2台が止まってしまう度にロープで牽引して助けていた。この時程日本製の車に感謝したときはなかった。でなければ全くたどり着けないか、スリップして崖から転落していたところだ・・。



トラブル続発しながらもなんとか山頂の小学校が遠くに見えて来た。みんなで「なにもこんな所に学校作らなくたっていいのに・・。」と苦笑い。
一体子ども達はいるのか・・。これまで地震で崩れた家と、立ちこめる霧と、ヤギの群れしか目に入って来なかった。


到着。「わぁーーーーーーーーっ!」(子ども達の声)
白塗りの建物の中からポコポコと可愛い顔が飛び出して来た。到着が遅れたのに待っていてくれた。シャイな子ども達、話しかけてもクシャっとした笑顔を見せながら頬を赤くして逃げて行く。


着くなりご飯を用意してくれていた。立ち食いしながらダウンジャケットをサイズごとに分け、早く子ども達に会いたい気持ちを抑える。


学年ごとに綺麗に整列した子ども達一人一人に広州からの手袋3点セットを手渡し、ジャケットは冬のコートを持っていない薄着の子どもを選んで100人に直接着せて渡した。



早速3点セットを身につけた子ども達は大はしゃぎ。友達とお揃いのアイテムを付けて授業に戻る。その風景が可愛くてたまらなかった。

鼻水ぬぐって、元気出して、いっぱい遊んで勉強して、
寒い冬ももう寒くないね!


もう少し長く滞在していたかったけど、次ぎの場所に行かなければならない。
子ども達に別れを告げ、学校を後にした。



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2012年12月3日月曜日

おにぎりひとつで・・




【雲南地震復興支援二回目】
昔話に出てきそうな竹やぶや昔おばあちゃんが書いていた水墨画にありそうな深い谷を抜けてたどり着いた雲南省のある小学校。この日は歯ブラシや文具を届けた。

その小さな子供の手のひらに歯ブラシを手渡すまで、気づかなかった。

この子達、歯ブラシを使ったことがなかった。

まず、歯ブラシを使った正しい歯の磨き方教室しなきゃね。

でも気づいた。この歯ブラシ大人用だ。。
先生や他の大人は中国じゃそんなの気にしなくていいよと言ったが、どう見ても小さな可愛いお口にこのデカい歯ブラシが合うはずがない。
怪我するかもしれない。回収しようと言ったが、回収はされなかった。
だからもしホントに合わなかったらパパママにあげてねって、念を押して伝えておいた。

支援するということは渡せばいいという単純なものではない。適切なニーズの把握、公平な配分、大きな責任が伴う。冗談じゃないよ。おにぎり一個で、戦争にだってなるかもしれないのだから。




これは中国の大学で講演会をする時にケーススタディーとして学生さん達に問いて考えてもらうのによく使用する話。

問:企業様から歯ブラシが寄付された。それを支援物資として配布するのが僕らボランティアの役目。目の前には可愛らしい小さな子供達。使い方を知らない。十分に数はある。歯の健康を保つ為にも歯ブラシは必要だ。配布しよう。
ここで、将来起こると予想される問題は何か。注意しなければならないことは何か。



皆様々な意見が出た。
どれが正しいとは言えない。大切なことは「考える」こと。

例えば考えられる問題として、まず歯ブラシの正しい使い方を知らないので、本来の効果が得られない。学校の先生または僕らが教えなければならない。
そもそも彼らの生活習慣の中で歯ブラシという製品は重要なのか。
次に子供達の小さな小さなお口にこの見るからに大き過ぎる大人用の歯ブラシ。もしかしたら怪我をするかもしれない。
子供が怪我を追ったことを保護者が訴えたら。責任を負うのは誰か。僕らだけの問題ではない。団体自体がこの場所で活動できなくなる恐れもある。



問:そこで一番困るのは誰か。

ボランティアができなくなる自分か。それとも運営にヒビが入る団体か。
そういう意見が圧倒的に多かった。

忘れないで、一番困るのは被災者だよ。 ボランティアじゃない、被災者。もちろんボランティアも困るよ。でも僕らは生き伸びる力があるでしょ。いつでも暖かい家に帰れる。ではライフラインを僕らに託された被災者は・・。
考え方をシフト。自分じゃなくて、被災者を中心に。





大切なことは“今”非常時期を想定して考えること。
経験したことないから現実味がないし、想像しにくいし、めんどくさいよね。
でももしかしたら明日、または今夜寝ている間にも私たちに襲いかかるかもしれない大災害。理性を失わずに動けるかな・・。



災害発生−救援−そして復興。
人間はいつまでも倒れてはいられない生き物。いつかは寝返りして、起き上がって、歩こうとする生き物。

復興。

そのときに自分だけ生き延びて冷ややかな世間の中で余生を孤独に送るのか、私欲を捨て助け合い共に生き延びて、復興後も助け合い・分け合い楽しく余生を送るのか。

災害はその人の人生を変えると同時に。その人の人間性が露になる。




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河原啓一郎 http://www.facebook.com/coucou.kei