2018年12月1日土曜日

ミャンマーの孤児院 -1525人の孤児達-


 行動を共にしていたレスキュー隊の隊長さん達は先に国に帰った
よし!マンダレーに残ったチェンレイと僕は少し町歩きをすることにした!
ずっと緊張・緊迫した日々ばかり続いていたので一気に身体と心の力が抜けるように疲れが出て来たのであまり遠くまでは歩けなかった。。



訪れたのは街の中心地にあるセントラルマーケットマンダレー城
金ピカのヤンゴンと違って何か時代劇のセットみたいな建物だった。観光客が珍しいのか城内で色んな人が話しかけて来た。その中の一人、すごく細い女の子が
あのー日本人ですか?
上手な日本語で聞いて来た。語学学校で日本語を勉強しているという。
家族と一緒に城内を案内してもらいながら色々現在のミャンマーについて話した。




公益組織と一緒にミャンマーに駆けつけたはいいがあっけなく時間ができてしまったこと、何か力になれる機会を探しているということを伝えると、彼女はミャンマー北部の少数民族政府との長年にわたる紛争による被害について教えてくれた。
その紛争他エイズ孤児貧困暴力人身売買などの理由によって孤児になってしまった子供達の話も。



ここにいても何が出来るかわからない。でも行けば必ずやるべき事は見つかるという事は知っていた。彼女から何軒かの孤児院の情報を、それも支援が届いていないような孤立した孤児院を調べて教えてもらった。しかも明後日家族の車で山々を越えて孤児院まで連れて行ってくれるというのだ!優しい!!
今日明日まだ時間があったので日本語学校を訪れて生徒さん達と色々日本やミャンマーのことを話して来た。



まず最初に案内され訪れたのが冒頭からの写真、なんと1525人もいるという仏教系の孤児院。ここは男の子だけの施設だけど女の子は別の施設にいるらしい。




僕らが到着するなり偉いお坊さん子供達を全員集めてくれた。壁に掛かるいくつものポスターのような色んなメッセージが書かれたものを説明してくれた。どこの団体が何を支援してくれたーようなことが書かれている。ここはマンダレー郊外でも有名な孤児院らしく、台湾、シンガポール、日本は大阪や九州の団体などが支援してくれていて、この隣の建物にはJICAも入って新しい宿舎を建設していた。また仏教系とだけあって仏教政府ともお墨付き支援金やら色んな待遇があるようだった。


広大な敷地内にはコンピュータールームも整備され、ホットシャワーのボイラーもある。
写真のように昼食を大釜で調理している光景も見させてもらったが野菜に大盛りご飯が食べられるようだった。
これがミャンマー。イスラム系やキリスト系の孤児院や難民キャンプにはこんな施設経済力ない全て仏教と政府側についた人々優位で成り立っている。

頑張って勉強している教室を覗くと可愛い修行僧も犬も一緒にお昼寝している。僕が小学校から大学までよく眠るから先生にチョーク思いっきし投げられたのと変わらない。一緒にするなって(笑)!!



きっと日本の団体が教えてくれたのであろう「幸せなら手を叩こう」を全員で合唱してくれた。

嬉しかった。そして安心した。親と一緒に暮らせない悲しい事情があってここに来たのだけれど、この施設なら少なくとも生きていける。だから安心した。

案内してくれる彼女は次の施設も規模はここまでではないが大きな仏教系に連れて行ってくれるつもりのようだった。ここには僕らは必要ない、もっともっと誰にも目に掛けされない、経済的にも衛生的にも危機に陥っているような施設があるはずだ。そう説明すると、彼女は一箇所思い当たる施設があるという。そこはマンダレーから車で3時間西に行ったメイミョーという町。




案内されたのはキリスト教の教会に併設された孤児院100人程の子供達が暮らしている。先ほどの1500人超えに圧倒された後のこれはすごい静けさ
と思ったら元気よく子供達が遊んでいて囲まれた!

北部のカチン族自治区と政府軍との紛争と貧困によって各地に難民キャンプができたが安全に子供達に教育を受けさせるためにミャンマー第二の都市マンダレーに十数年前に地元キリスト教徒とアメリカの慈善家からの寄付で教会と孤児院が作られた。




そう、ミャンマーの観光地はどこもお坊さんだらけの仏教なイメージがあるけれど、北西部はイスラム、ヒンドゥー、北東部はキリスト教の少数民族が暮らしている。これを仏教中央政府は面白く思わず、昔から軍事力で弾圧して来た。ロヒンギャやカチン族への虐殺、村の焼き討ち、無差別な空爆は今も続いている。



施設を管理している大人は皆カチン族、ディレクターのティンコーさんとその奥さんのカイタンさんから詳しく話を聞いた。
ここは政府からの支援はゼロで、特定の団体からの定期的な寄付などもない。全てキリスト教の彼らだけで寄付を集め合ってなんとか運営している。100人の子供達の食費はなんと一日三食全員分合わせて9ドル(1000円程)。。肉は高価なので週一回土曜日しか食べられない。朝食は米のとぎ汁に少し豆を入れただけのスープを毎朝食べる。穴の空いた服でも大きい子から小さい子へ着まわしている。シャワーはなく大きな水瓶に冷水を溜めたのを洗面器で汲んで体を洗う。標高1500m近い山の中の町、夜間は冷えるがもちろん暖房も扇風機もない。それでも皆助け合って生きている!!毎日神様にお祈りしながら、毎朝毎晩感謝して声を合わせて歌い、聖書を読んで、ちゃんと遅くまで勉強も頑張っている!もう応援せざるにはいられないよ、チェンレイ!!ここにしよう!!



この時の滞在では日本語の授業、中国語の授業、保健衛生の授業、健康チェックの他に写真のようにアルミ缶を改造してアルコールストーブを作ったり、木と針金、ヘアピンでカリンバ(親指ピアノ)などを一緒に作った!



材料費ゼロ!みんなでワイワイ楽しく作ったストーブは・・



アルコールを入れるとこんなに綺麗な炎を上げた!!感動!してわーーーーーーってなった!!



薬局で1L40円ほどで買える消毒用アルコールをほんの少し、30ml程入れるだけで1Lのお湯が沸騰する優れもの!!(さあみんなで作ってみようー!)



そして僕のお馴染み、沖縄で作り方を習ったカリンバ。特に女の子は嬉しそうに調律して綺麗な音を流していた!



トラックを貸し切ってみんな荷台にギューギューになって、色んなところに遠足に行った!釣れなかったけど湖に釣りにも行った!みんなパンツいっちょで泳ぐ泳ぐ、上手上手!!


木の釣り竿と便に糸を巻きつけて釣りをする

実はこの記事を書いているのは2018年の今まさに年が暮れそうな寒いクロアチア。
この時の子供達との出会いからもう7年。
毎年のようにミャンマーに戻ってはみんなに会いに行っている。去年は二回訪れた。


手作りカルタを作って日本語を勉強。カンボジアでやった経験をここでも。
行くまでは、会うまでは何をすべきかなんてわからない
百聞は一見にしかず。事実毎日目の回るような忙しさが待っている。
子供達100人は生まれた時にはそれぞれお父さんお母さんがいた
その両親200人分に代わることができるのか?そんなわけがない

ただ200の仕事を1つでも2つでもやるのか、全く関心も持たず何もしないかの違いは歴然。
たとえ僕ら外から来た一人二人の外国人でも。





この7年間、子供達の成長を楽しみに見ながら色んな思い出を一緒に作って来た。

最初に訪れた時、二段ベッドに敷かれた子供達の毛布やシーツが湿気って汚れてすごいことになっていた。まず5日間程かけてみんなで全部足でフミフミ洗濯して、マットレスも太陽に当ててよく叩いた。よーホコリ出た。最後に洗ったのは半年前だったそう!!育ち盛りの走り回る子供達の布団は重く黒くなっていた。当時旅仲間の看護師とも一緒に訪れたこともあってベッド周りの衛生環境作りと子供達の清潔へ意識向上は無視できなかった。大切!!

もっと社会に存在を広く知ってもらう為に孤児院のブログも開設

また孤児院のロゴSMOCとイラストの入ったTシャツとポロシャツを作成し当時滞在していた中国で大学の講演会ネットで販売、またweiboのフォロワーさん達も個人的にたくさん買いに来てくれて、全て孤児院の運営費に当てた

毎月出演しているNHKラジオの番組で何度かこの孤児院の話をして、聞いてくださった方々からの寄付と友人や家族、元職場の同僚達から集めた寄付で、
新しい男女シャワールームの建設、食料が底を打つ寸前で半年分の米を寄付、文房具・体育スポーツ用品数年分を寄付、自転車6台を修理。

日本から人形劇「桃太郎劇団」を招待して上演していただくと、子供達大はしゃぎ!!

プロジェクターを持参してお祈り後、寝る前にみんなで映画を見たけど必ず消灯時間までに一本終わったことがなかった^^;;

僕らは生まれてこれまで毎年の誕生日はだいたい親に祝ってもらい、小さな頃にもらうプレゼントは嬉しかった。ただ、
誕生日が来てもこの子達にはそれがなかった。だから、
毎月誕生日に当たる子供達全員にプレゼントが渡るよう
「誕生日プレゼント基金」を作り、月一回の集団誕生日会で一人当たり定額の寄付から購入した希望のプレゼントを渡している。これは全額僕が負担^-^




豪華景品をかけた卓球トーナメント戦バドミントントーナメント戦は誰もが燃えた!!

サンタさんの来ないクリスマスなんて辛いよ。
weiboやSNSで呼びかけてクリスマスに合わせて中国や日本からたくさんのクリスマスレターやプレゼントが子供達に届いた。
・・そのお礼に書いた300通以上の手紙が送り終わるのに3ヶ月以上かかったけど!!^-^
ほぼ毎日書いてはどこかの国の郵便局で出してたの覚えてる・・



まだ生まれてこれまで一度も見たことのない子供ばかりで、どうにかして海に連れて行きたかった。でも全員分の遠い海までの移動費と宿や食事代がこれまでにない高額で、また食料危機があった為に緊急度が高い生活の方を優先して海旅行はまだ実現していない!クラウドファンディングも計画段階まで行ったが延期に。


本当みんな仲が良い!!
絶対いつか実行したい。






ささっと書いてしまったけど、この7年間のそれぞれのストーリーはまたいつかこの先の記事で(^-^)

チェーズーティンバーレー(ありがとう)!!

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