2012年8月17日金曜日

ーバナナマンと悲劇の前日ー




数日だけの滞在だけど、思い出多き平頂山にもサヨナラを言うときが来た。
昔僕はとても涙もろい男だった。家に泊めた旅人が出て行く度に泣いていた。寂しいとかじゃないと思うんだ。一緒に過ごしたたった2日間なり3日間が一気に思い出されてすごく切なくなる。寂しいのか。
でも不思議と回数を重ねることでその涙も出なくなった。
人は強くなるものなんだね。


河南省の平頂山学院にいたにもかかわらず、ここから遥かに遠い山東省の大学の学生達からこちらの大学の学生にサインを求める連絡が来た。どうやってここにいるってわかったのだろう。広大な中国も編み目のような情報網に時々狭く感じてしまう時がある。数枚サインしたその紙の中には日本語で「夢があって、誰もが素晴らしい」と印刷されているものがあった。

僕の隣にいるのが近い方からアホーとアブー。黄色い彼が今回僕のホストのキュウウィさん。みんな小さなプレゼントをくれて、アブーは歯ブラシをくれた。


ゆるい下り坂から崖のような坂を通り抜け、次ぎの街、Ruzhouへ。
平頂山手前から洛陽までは噂に聞いていた路面情況よりは全然マシだったけれど、「真っ黒になるよ」という注意はその時聞いてもなんのことかわからなかった。来てみてわかった。この辺一帯タールの生産地だったのだ。炭の粉が山の様に盛られたトラックが行き交う道路が続き、その荷台にカバーをかけていないものだからすぐ隣を追い越されるときには炭の粉が舞ってあっという間に体が真っ黒になる。その度にハンカチで拭うが絶え間ないトラックにまた汚されるの繰り返し。お手上げ状態。


途中の小さな街で休んでいるとこの大家族が休んでいきなさいって、エアコンの効いたお店に入れてくれて水も持たせてくれた。
一番前のドヤ顔君と、二列目のバナナマン日村カット君可愛い!
みんな可愛い。


汚れた手で目をこすれば腫れてきたし、白いTシャツは茶色に、僕の肌はアフリカ人になってきた頃にRuzhouの街に到着、いち早くシャワーが浴びたくて適当な安宿を見つけ入った。街の公園などではおなじみ河南オペラが開かれご老人達が夜になるとどこからともなく涌いて来た。



この後この街であんな悲劇が起こるなんてこの時予想もしていなかった・・。

平頂山 to Ruzhou
走行距離: 70.13km
平均速度: 17.5km/h
最高速度: 43.2km/h


facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎)


0 件のコメント:

コメントを投稿