2012年9月7日、夜中に発生した震度5の地震は連日続いていた雨により地盤が弛んでいた山とその斜面に建つ家々を破壊していった。
悲劇はそれで終わりではなかった。
9月17日、豪雨が作り出した土砂ダムが決壊し、十数メートルも嵩を増した濁流は流域の村を飲み込んでいった。
そして忘れもしない10月4日午前8時、新たな大規模土砂崩れが発生し、授業中だった小学校の子供達18人が学校ごと生き埋めになり、周辺の農家の住民と合わせ19人の尊い命が亡くなった。
僕は思わずweiboにこう書いた。
「もし神様が居るのならば、もうこれ以上の悲劇を止めて欲しい。」
「現実とは思えない、思いたくない光景だよ・・。」
東日本大震災の復興支援で宮城県石巻に居た時に皆の口から出た言葉が、今、中国の雲南省で僕の口からこぼれ出た。
人にも車にも厳しい山道を通り抜け、一路この日の作業場所となる彝良の小さな村へ。車は泥を被り真っ黒、後日洗車した後こんなに白かったのかとビックリした。
洪水により道路がえぐり取られ、車が通行止めになっている狭い場所を村人と道を譲り合いながら歩く。今にも足下の地面が崩れ落ちそうで恐怖だった。この先にも村は点在するが、バスが通れない今、住民の交通手段は徒歩か臨時で用意した乗り合いタクシーのみだ。
山の斜面に建つこの家は建物自体潰れなかったものの、家の中と屋根の上、建物周辺には土砂と大きな岩がゴロゴロと堆積していた。
重機などない。それでもこの写真の大きな岩をどかさなければならない。
この家の主人は小さな鉄の棒とハンマーで岩をコンコンと叩き始めた。
僕と記者の女性は、
「まさかね・・・。」
と呆然とその主人の後ろ姿を見ていた。
するとその三時間後、屋根から降りて来た僕が見た物は、桃太郎の桃のようにパックリ割れた岩・・。
「凄い・・」としか言いようがない。尊敬すべき雲南に暮らす人々の知恵、こんな場面で少し垣間見ることが出来た。
【你的一个举手之劳,会改变别人的一生。】
どんなに小さくても、その一人が差し伸べた手が、誰かの人生を変える事ができるかもしれない。
よーし僕らも負けてはいられないぞ。
屋根に貯まった泥と岩をどんどん落として行く。8人でやっても、丸一日かかって運んだ土砂はおそらく5%程。
「気が遠くなるな、こりゃ。」
僕がそういうと、唯一の他の外国人ボランティア、シンガポールからきた19歳の優しい青年が、
「少しずつやりましょう。今日終わらなくても、諦めなければきっといつか終わります。」
なんてけなげな青年だ。
彼はこの雲南地震支援と、この後に行く予定のかつてのハンセン病隔離地域にボランティアに行く為に単身飛行機で中国に乗り込んで来た。
彼のような青年の今後の活躍が楽しみ(^^)
実は右の二人、ボランティアに扮した警察官。
一緒に泥だらけになって汗を流したね。本来の任務全う!
薄い方はおいしい朝ご飯まで作ってくれ、二人とも優しい男達だった。
お疲れさま。。
ペコペコだね。
9/18付け(震災発生から11日)の官からの通知でボランティアが被災地から出され、かつてこの団体にいた250人のボランティアも今では30人に減らされた。やれることと、体力に限界がある。
お昼だお。
方便面(カップラーメン)にしよう。
魚肉ソーセージを切って入れて少しでも栄養の足しにしよう。
遠藤さん、料理に気合いと精が入ります。
休憩時、和みのひととき。
綺麗な蝶が腕に止まった。離れない。ご飯食べていても離れない。
良い香りだから?それとも臭いから?
後ろで誰かが言った、
「天使が舞い降りて来たんだよ。」
うん、天使は臭い人には降りて来ないお。
この後、地元政府と大きな交渉をした。
続く・・
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日本から・・・応援しかできないけど頑張って下さい!! 中国加油!!!
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