2012年12月5日水曜日

もう寒くないよ。


この日は山間部の小学校と孤児院、一人暮らしの老人が何人かいるという村へ支援物資を届ける。
提供頂いた日産の車が一台昆明に戻るので全員を被災地までは運べず、僕とチェンレイが街に残り、北京3人と現地スタッフだけで向かう。麓の街から片道三時間の山道を抜け、 村に到着。しばらくして、電話で情況を聞いた。
大都会北京から来たシュウちゃんは泣きじゃくりまともに話せていない。彼らの想像を超えていたそうだ。僕らはコートを着込むくらい寒いのに村にいる子供はまだ半袖を着ている。セーターを着ている子供の袖は破れ、顔や手は黒ずんでいる。


 もともと一人で山の中で暮らしていた一人の老人。地震で家が壊れ、今は雨漏りして内側がカビだらけの防水でない仮設テントとベッドが一つだけの場所で暮らしている。土砂崩れで農地もなくなり、幹線道路から離れているところで生活しているため支援物資も届かない。食事は一番近くにある知り合いの家の人に分けて頂いているという。



老人に洋服一式を渡した時、彼は涙を流しながら、
「ありがとう、ありがとう。」と何度も繰り返したという。
またこれを背負ってぬかるんだ山道を2時間以上歩いて家に戻る。彼が帰るとき見せた背中が寂しくて忘れられないと、友達は涙しながら教えてくれた。


 
電話で情況を聞いて、実際に必要で足りないとわかったものをリストした僕らは商店街へと向かった。冬の暖かい靴下を大人子供遭わせて500人分、キャンディーを7kg( これは僕からのプレゼント)、女性のサニタリー用品などを買えるだけ買った。

立ち寄ったある小さな雑貨屋の店員が、北京から来たと話したら飛び上がって喜んで来た。 そこで僕がまだ北京にいたころ、ある昭通市(被災地の一つ)の小学校の先生とメールで話した会話を思い出した。
「北京かあ・・北京は子供達の憧れです。」

首都とはいえ遠く離れたここ雲南の田舎の街では北京は憧れの街だった。



 山から下りて来たみんなと合流し市場へ向かう。値段交渉をしながら100人分の子どものダウンジャケットを買った。同じ村人同士の優しさだろう、明日子ども達へ届けると言うといくらか安くしてくれた。そして偶然街で出会った前回の被災地を訪れた時に一緒にボランティアをした地元の男の子も地元の言葉を通訳してくれた。僕と同じパーマ頭で、彼はもっと拉麺ぽいのでカップラーメンという名前がついた。彼もこの日から一緒の仲間に。


 次の日、車が足りないので一台レンタル。朝宿の前に駐車して荷物を積み込んでいると、三輪バイクの男がコツンと車の後ろに当ててきた。1ミリ程塗装についた傷。20元程で修復できるだろう。しかし男は叫びながら200元を請求してきて、友達が払ってしまった。中国の田舎ではよくある詐欺だが、後で聞いた僕は腹立たしくてしょうがなかった。友達はきっとモメて大事になるのを避けたかったのだろう・・。


この日の支援場所は、別の村の小学校と、さらに山奥深くの村。
前日に買ったダウンジャケットや靴下、北京で集めた残りの洋服一式を全て配布する予定。

今日からもう一人仲間が増えた。
500人分の子どもの可愛い“手袋、マフラー、毛糸の帽子”の3点セットを乗せ、はるばる広州から車で丸二日かけてきた男性だ。車の窓に解りやすく「○○島は中国のだ!」というステッカーが貼ってあったがきっとこれも暴徒化した無秩序国民からの車の破壊を避ける為だろう。最近良く見かけるステッカーだ。
でなければヒドい時には日本車に乗っているだけで窓ガラスを割られ引きずり出され、集団に殴られ数ヶ月たった今も意識不明で病院で眠っている人すら出て来た。
広州の彼は、話した限りとても優しい男性だった。



韓国製の車に乗った先生の車も含め、荷物を満載にした三台の車が山道を登る。しかしこれまで以上に厳しい坂道が続き、何度も止まってしまった。しかしなぜか不思議な事に日産のジープだけは軽々と登ることができ、他の2台が止まってしまう度にロープで牽引して助けていた。この時程日本製の車に感謝したときはなかった。でなければ全くたどり着けないか、スリップして崖から転落していたところだ・・。



トラブル続発しながらもなんとか山頂の小学校が遠くに見えて来た。みんなで「なにもこんな所に学校作らなくたっていいのに・・。」と苦笑い。
一体子ども達はいるのか・・。これまで地震で崩れた家と、立ちこめる霧と、ヤギの群れしか目に入って来なかった。


到着。「わぁーーーーーーーーっ!」(子ども達の声)
白塗りの建物の中からポコポコと可愛い顔が飛び出して来た。到着が遅れたのに待っていてくれた。シャイな子ども達、話しかけてもクシャっとした笑顔を見せながら頬を赤くして逃げて行く。


着くなりご飯を用意してくれていた。立ち食いしながらダウンジャケットをサイズごとに分け、早く子ども達に会いたい気持ちを抑える。


学年ごとに綺麗に整列した子ども達一人一人に広州からの手袋3点セットを手渡し、ジャケットは冬のコートを持っていない薄着の子どもを選んで100人に直接着せて渡した。



早速3点セットを身につけた子ども達は大はしゃぎ。友達とお揃いのアイテムを付けて授業に戻る。その風景が可愛くてたまらなかった。

鼻水ぬぐって、元気出して、いっぱい遊んで勉強して、
寒い冬ももう寒くないね!


もう少し長く滞在していたかったけど、次ぎの場所に行かなければならない。
子ども達に別れを告げ、学校を後にした。



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