2012年2月28日火曜日

-愛心接力- 中文



(谢谢kiko同学帮我翻译成中文)


(日本語訳に協力していただいた親友のKikoさん、ありがとうございました。facebookと同じく、googleから提供されているこのブログも中国国内では閲覧できないことになっているのが残念ですが、近々中国版ページも開設する予定です。以下の内容は前記事「心のリレー」と同じです。)

  大家给我的所有留言,我会全部一一回复。每一条我都会很认真的读。尽量以最快的速度回复大家。对大家的关心,真诚的表达我最高的谢意!!

   HBTV的最后报道了

       参与这次 “爱心接力”的已经有5331032人。(6min50sec


  老实说,自己有时候也会觉得害怕……

还车仪式和接受记者采访前,去洗手间的时候,看着镜子里的自己,


“面前这个人是谁?是我吗?给大家添这么多麻烦,给人们带来这么多烦恼的人,你是谁??”一瞬间,我回不过神。。。


用冷水洗了把脸,对自己说“喂,清醒点~!”


  不知道那个时候怎么了,其实只是在镜子站了一瞬间,却觉得那一瞬间,好长好长。一定是累了。。。
  
一定不能再这个时候放弃,就算是为了一直支持我的人,我也要找到面包超人号,并且告诉大家,我找到了,感谢他们的支持~~!!

  觉得累的人一定只我一个,陪伴我的朋友们一定更累。。。

   

这次的事情,很多人都问“为什么警察会特别的对待?会有VIP的待遇?”其实,刚开始警察好像也没有怎么上心。想找到很难,只有我们自己努力的去找。好朋友们一开始就用了各种方法去找,警察开始正式行动,是在那之后的之后。
  
“绝对不放弃”的信念一直在我心里。还有周围一直鼓励我不能放弃的朋友的支持。


   老实说,自己这样坚持到底对不对,自己每天都在纠结。

   帮我寻找的朋友里面,也有很多自己被偷过,没有找到的人们。

   就算是那样,他们也跟我说“我也被偷过车,你的心情非常能够理解,虽然找到的可能性不大,但是如果能找回来就好了。”

   听了这些话,觉得自己不努力的寻找是不行的,但是非常纠结的心情也是日日在增厚,加深。。。

   并且那天通过论坛提供线索的青年的心里一定也很不是滋味。而且,听到他说,最爱的自行车也不见了,还没有找到的那一瞬间,我觉得真的就像什么瓦解了我支持的信念,瞬间眼泪就出来了。
  
   最最重要的东西,被人恶意的抢走了,这种心情,我想大家都是一样的。

   就算不是为了自己,为了一起帮我找的人,也一定要找到它。
  
 一定要找到的原因,从“我不想放弃”变成了我想对所有支持我的人说,“幸亏有了大家,我才找到”这句话。所以,我一定要找到超人号!!

   面包超人号找到以后,我的确是非常的高兴,但是心情却是万分的复杂。
   
   我会用自己有限的力量全力以赴的表达对大家的感谢。

   新的义工邀请,从各地的义工组织发来。当然我会尽力的去做,去完成。

   但是我的志愿者概念,不是一定要加入哪一个义工组织,会在日常生活中去帮助他人,为别人着想。这个人为什么难受,需要什么帮助,我可不可以帮到他。。。我会坚持这样的信念一路走下去。
   我想,人与人之间这样不计回报的相互帮助,一直轮回着,传承者,总有一天爱心会这样转回来的。

就像这次,当我的最重要的东西不见的时候,最一筹莫展的时候,真正伸出援手帮我的就是那些单纯为他人着想,为他人帮忙的,连面都没见过的人们。。。


这段时间,让我了解了,在中国,有很多很多愿意帮助别人,古道热肠的志愿者的存在。而且,我坚信今后,无论有任何灾害任何困难,都会互相帮助,一起面对下解决问题。
在中国旅行真的让我觉得很开心,幸福。在武汉丢自行车也是不幸中的万幸。感受到了人们内心深处的温暖。
我想大声的,清楚的说,
这次帮我解决问题的,不是我自己,也不是警察,而是,热心的武汉人民~~!!


谢谢你们,中国的朋友们~~!!
我更加喜欢和崇敬中国了,
以后有什么需要帮助的话,该轮到我尽全力帮助大家了!!





-有大家的关心与帮助所发生的奇迹~!!-



(报纸,电视台都有报道,但是有些地方跟事实有出入,下面所写的都是事实,绝无虚假。)

谢谢kiko同学帮我翻译成中文)
(日本語訳に協力していただいた親友のKikoさん、ありがとうございました。facebookと同じく、googleから提供されているこのブログも中国国内では閲覧できないことになっているのが残念ですが、近々中国版ページも開設する予定です。以下の内容は前記事「人々の優しさが起こした奇跡」と同じです。)

  我是在做梦吗?
  如果是个噩梦的话,我希望可以快点醒来。
  应该在,必须在那里的我的面包超人号,没有了。。。那一瞬间我以为我看错了。

这个像做梦一样的事情,就是这样开始的~~

  签证延期的手续比想象中麻烦,一直都不停的往返在入国管理局和警察局之间。而且,好像很需要时间。
  为了有效的利用等签证的时间空白,决定去有需要的地方,义务做日语老师。将这个决定发布出去以后,有很多大学和日语培训学校都向我发出了邀请。但是他们要求并希望我可以在武汉待的时间长一点。可是,我必须赶在炎热的夏天来临之前走过丝绸之路。我担心被烤焦在火焰山上。所以,时间上并不允许我在武汉停留太长的时间。

  最后,还是决定就在咖啡厅,麦当劳等地方,教有日语学习需要的人,我也可以多认识些朋友。我做了些关于自己的海报,贴在各大高校和我平时比较喜欢去的咖啡厅。之后,有很多人联系我,学生从大学生到63岁的老爷爷各种年龄段的都有。我给他们上了课,并且成为了朋友。从在柬埔寨做志愿者时,在NGO学校做过日语老师以后,我就没再教过日语,每次上课的时候,开始是学生很紧张,后来我也总是变的很紧张。@#%……

  那一天,和两个学生的邀请下,6点半去了武汉市非常漂亮,非常时尚的商业步行街----汉街。
  由于是步行街,入口处的保安把我们带到了汉街的自行车专用停车场。所谓的停车场,就是在小型的人行道上,圈起了一块地方。那里已经停了好多自行车,电动车。有个右胳膊上戴红袖章的大爷,是那里的管理员,站在那些车子的中间。
  我的车是没有站架的,不能跟那些车并列的排在一起。管理员让我把车放在15以外的墙根上。刚好,那个墙根的地面又是呈坡型的,管理员大爷不耐烦的把车搬起来,把车夹在了墙壁和垃圾桶之间了。我把两个锁都锁上后,准备给他5角钱停车费的时候,他表示取车的时候再给,并告诉我,他8点钟下班。
  那个叫汉街的地方,跟东京的表参道差不多的感觉。人流量很大,如果是平时的话,我已经不会把我的面包超人号停在那里,一定会用链子锁将它固定在一个地方。旅行到现在没有丢过东西,而且,那一天,管理员大爷在,我很安心的相信了他。

  在汉街逛到8点过一点回到停车场。大爷已经不在那里了,而且,我的车也不在那里了。人去车空。。。我半天回不了神。。。

  我们立即去找了保安,并报了警。
  到了派出所,录口供的时候,叫来了看车的大爷及其家人。我记得他的样子,衣服,的确是他。可是,他好像不记得我了,却坚持说“不记得了”,“没注意”,“不知道那样的车”。什么都不记得了。可能他真的是8点整离开的,可是问他6点半到8点之间车在不在,他也是不知道。能停30辆车的地方,只停了56辆车,说不记得了是不是有些失职呢。

  我们坚持说他知道,他坚持他不知道,发生了口角,他想保护自己,我们想找到车。
  我没有想过要他赔或者怎样,我只是希望他不要撒谎。。。争论到最后没有结果,只有拜托警察帮忙找,从派出所出来了。

  打的把两个学生送到家之后,已经是凌晨12点多了。一直留宿我的朋友家,离那里很远很远,已经没有车了。拖着沉重的脚步,漫无目的的走了一会,在一个公交站的长椅上坐下了。“今晚睡在哪里?要在这长椅上睡吗?面包超人号现在在哪里?我的旅行计划,我的梦想该怎么办?我以后该怎么办?”一个又一个的问题,所有的事情都在脑海中盘旋飞舞。。。很累很累。。。

  望着手机通讯录里的联系人,一个个翻下去,一个让我眼前一亮的名字-----Richead.是在一所大学里教英语的美国人,曾经在美国美术馆工作过。也是在别的外国朋友家里参加聚会时认识的,他的确是住在一带的。电话他说明情况后,尽管是深夜,他还是很热情的邀请我去了他家。在Richead家的沙发上,度过了最寒冷的一夜。

  

面包超人号不见的那天,好像是很久很久以前的事情了。之后,昏天暗地的忙也是从那天开始的。
  从超人号不见的那一刻开始,我就决定了-------一定要把它找回来,一定不会放弃!!!!而且不断的问自己,如果旅行就这样结束,自己真的可以接受吗?我还有自己的梦想,人生的希望,所以,我一定一定要用正当的手段,把车找回来。

  早上,从Richead家离开,我就联系了教日语,一起去老人院做义工的,在大街上认识的朋友们。总之,对在武汉所有认识的人求助,大家都明确表示会尽全力帮我寻找自行车。并且朋友们还拜托了朋友的朋友们帮我找超人号。而且,在杭州,南昌等,各地认识的朋友们都通过网络来帮我询问情况。感动,一波一波接蹱而至!!

  消息不断的扩散,有能力有关系的人也开始帮助我,媒体也开始参与进来。武汉乃至中国各地的报纸都开始采访我,大规模的找车宣传就这样开始了。网络的回复超过5万件,通过网络开始有线索,政府也开始有反应,开始督促了。

  虽然晚了些,武昌区的警察也开始了全面的搜查。从早上到深夜的不停的工作,而且,非常热情的接待了我,这让我觉得非常的不好意思。一定很辛苦!非常非常的谢谢~~!!!
  
通过自行车爱好者论坛,有网友说看到辆车疑似我的。这个论坛上的帖子是朋友的朋友的朋友帮忙发的。具体的在哪里看到的,提供线索的网友是谁,我们什么都不知道。

  警察的力量是强大的,很快就找到了,提供线索的网友,并带着我们一起去见了他。
  见到那位网友,我下了一跳!因为,我。。。。认识他~
  元宵节那天,我接受电视台的采访,我见过他,他也骑着自行车。由于那天放烟花的声音太大,人太多,太吵,没能好好聊聊。但是,我记得他的样子。

  他非常的喜欢自行车。经常在熟识的修车店里玩,也偶尔忙些小忙。我的车就是在他经常去的修车店里看见的,有日本警察局登录的标志,有装行李的架子,一看就知道是长途旅行用的,他对超人号的印象很深。

  我问他,“你的帅帅的车呢?”他回答我说“一周前,被偷了。”瞬间,我不知道说什么好。很想哭!
  他自己最最爱的车也不见了,却来帮我提供线索。我想安慰他,却不知道从何做起,不知道说什么好。拍拍他的肩膀,只说了句,“谢谢你。”他说,会和我一样,不放弃的去寻找!

  之后,他带我们去了修车的店。在去的路上,警车里,他告诉我,他的梦想就是能有辆日本制的比较好的自行车。我和他约好,等我周游世界的计划完成以后,一定会送一辆日本制的自行车给他。

  到了修车店,已经关门了。线索又断了。已经是晚上10点多了,大家帮助我,陪伴我的人都累了,但是大家都没有放弃。

  找到了~!!!!!

  当我们再次回到派出所时,就得到了车已经找到的消息。经视直播的员工的朋友,也是自行车爱好者买了我的车,警察立刻将车运了回来。

  公安局的领导和参与办案的警察同志们一起把车还给了我,举行了小型的换车仪式并且之后接受了记者的采访。在采访中,我表达了对帮助过我找车,一直支持我中国各地朋友们,警察同志,记者的感谢。还车仪式上,有一段小小的对话。

  警察:如果真的找不到,我们准备并且已经为你准备了新的自行车。

我:谢谢!我的车已经找回来了,谢谢你们的好意!
  
警察:那我们就把车退了。

我:知道您很忙,要是有时间的话,您跟我一起去下一站西安吧
  
警察:这个主意不错,等有时间了,一定去。

我:嗯嗯,好的,我期待跟您的一起出行。  
  小小的还车仪式在愉快的气氛和笑声中结束了。
  仪式的最后,警察告诉我,已经会处罚小偷的,让我放心。我觉得偷车的人应该跟我一样渡过了最难熬,最郁闷的三天。我请求警察轻判他,对方答应帮我跟法官求情。
  
长长的几天终于过完了。。。我,不是,是我们大家战胜了不可能。

   面包超人号,刚刚不见的时候,的确很难受。但是很多热情的人,特别是温暖的武汉人对我的支持,鼓励,帮助,才完成了这个“不可能”。

   走在大街上,都会有人问,“车找到了吗?”“不要放弃哦,一定要加油。”很温馨,很温暖~~!!!
   也有很多人说,要送我新的自行车,为我提供住所,请我吃饭,给我钱。光是这份心意已经让我足够多足够多的感动。不能再给这个国家的人添任何麻烦。也没有任何理由接受大家的东西。

  无论有没有这次丢车风波,我都一直感谢一路支持我的人们。觉得非常的不好意思,给大家添了麻烦。无法用语言来表达我的心情,我的谢意~~!!

  在网上,微博,还有论坛里,大家对我和失而复得的超人号事件的看法,有好有坏,每个人有自己的想法,无力改变。
  每天有很多很多人给我发短信,打电话,鼓励我。还有那3天里一直陪着我的朋友们。这些都是支持我  绝对不放弃  的信念。
   很多朋友在恭喜我找到车的同时,也跟我说“你以前做志愿者对我们好,我们也对你好了一次。”一句话,倍感温暖。在我以前的博客里我也写过,能拥有在自己最困难的时候,能够帮助自己,一直陪伴自己的朋友,是非常非常幸福的。
   真的真的非常谢谢~~!!!!!!!!
   
  最后,想对自己和自己的超人号,给大家添的麻烦,让大家为我的担心,真心的道歉。
   买我的自行车,不知名的朋友,最后一天为我尽全力,辛苦找车的武汉警方,通过网络支持我,帮助我,没有见过面的几万朋友们,用媒体的影响力尽力帮助我的媒体人,还有远在日本甚至到各国的支持我的人们,还有三天一直陪着我,帮我翻译的好朋友们,对你们表示最高的谢意~~!!!
   
我一定会骑着大家合力帮我找回的面包超人号,带着大家的支持,完成我的梦想,行走全世界。
   衷心的希望,中日关系能够更加友好~~~~~~~~~~~~~!!!



2012年2月23日木曜日

心のリレー

皆さんからいただいた素敵なメッセージと書きこみ、すぐにでも全部返信したいところなのですが・・。
全てひとつひとつじっくり読ませていただいております。
追って出きるだけすぐに返信させていただきます。
ありがとうございます。


HBTVが最終的に、、


「 心のリレー 」 (愛心接力)


をした人々の数は、5,331,032人に上ると報道した。(6min50sec~)
 http://inews.hbtv.com.cn/2012/0221/15793.shtml



MSN topics
http://topics.jp.msn.com/wadai/searchina/article.aspx?articleid=890056 



正直、自分が時々怖くなるときがある。


会見の前、トイレに行った時、ふと鏡に映った自分を見つめた。


「誰だこいつは。こいつは自分なのか。今、これだけ人に影響を与え、世間を騒がせた男、お前は誰なんだ。」


冷たい水を顔にかけ 「おい、目を覚ませ!」


自分に言い聞かせた。


なんだったんだろうあの時の気持ちは。
実際は一瞬だけど、長い時間鏡の前にいたかのような気がする。
きっとすごく疲れてた。


ココで負けちゃダメだ。
支えてくれた人の為にも、これから見つかったことを報告して、感謝の気持ちを伝えたい!


疲れているのは僕だけじゃない。
友達はもっと疲れているはずだ。






今回の件、「なぜ警察は特別動いた。」と疑問が上がっているが、実は警察は始め深刻に捉えなかった。これでは見つけるのは困難だと思い、僕ら自分達で探すしかないと動き出した。そこでこれまで出会ってきた優しい中国の仲間達が立ち上がり、独自の捜索が始まった。警察が動いたのはずっとそのあとだった。
「絶対諦めない!」
の言葉を胸に、
「ここで諦めたらダメだよ!」
と多くの人から激励され頑張ってきた。


正直、本当にこれでよかったのかと自分と葛藤しながらの毎日でもあった。


中には過去に自分の物を盗まれて未だ戻ってこない人たちもいる。
それでもなお、
「私の自転車も盗まれました。気持ちわかります。見つかるといいですね。」
と言ってくれた・・。
頑張らないといけないと思いつつ、申し訳ない気持ちが積み重なっていく。
そして三日目、ネットを通じて情報提供をしてくれた青年、きっと申し出てくれるまでに相当な勇気が必要だっただろう。
彼の自転車も盗まれたと聞いたとき、それまで溜まっていた何かが壊れ、涙が出た。


大切な物を、悪い心を持った人に奪われる辛さはみんな同じ。
僕のためだけじゃなく、一緒に探してくれている人々の為にも無事に探し出して、
「ありがとう!みんなのおかげで、みつけたよ!!」
と言いたい。そういう気持ちに変わっていった。


自転車が戻ったときはもちろん嬉しかったが、複雑な気持ちが残った。


感謝の気持ちはこれからもゆっくりと長く返していきたい。
新たなボランティアの誘いが各地から入り、もちろん可能な限り協力させていただきたいが、
僕はボランティアという概念は必ずしも組織に属したり団体で行うものだけではない思う。
日々の生活の中で、「他の人のことを考える。」  
それ自体がボランティアだと思う。
この人は何で困っているのかな、何が欲しいのかな、何か辛いのかな。
そう常に思うことなんだと思う。


そうすれば、いつか自分に廻り廻って返ってくるから。


今回僕は大切な物を失いかけ、困り果てた。


その時、
手を差し伸べ、救い出してくれたのは、紛れもない「他の人」、お互いの顔すら知らない人々だった。






この国にはそんな「困ってる人を助けたい」というボランティアの心を持った温かい人たちがたくさんいることがわかった。きっとそんな素敵な人たちは、今後起こりうるかもしれない災害やどんな困難にでも立ち向かって助け合って生きていけるのだろう。
僕は中国を旅していることがほんとに幸せだし、自転車を武漢で無くしたことは紛れもなく不幸中の幸い。人々の本当の優しさに触れることができた。
はっきり言います。
今回解決に至ったのは僕でもない、警察でもない、紛れもない市民の力。


ありがとう中国の皆さん。
僕は中国がもっと好きになりました。
何か困ったことがあったら今度は僕がお返しする番です。

2012年2月21日火曜日

-「人々の優しさ」が起こした奇跡-


【新聞・テレビ等で多数報道されていますが、情報が混在しいくつか誤った内容が伝えられているようです。これから書くこの話は実話であり、偽りはありません。】Kei


夢じゃないのか。
ただの悪夢だったら覚めて欲しい。
そこにあったはずの自転車が消えた。一瞬自分の目を疑った。

この悪夢のような出来事はこう始まった。

VISAの延長がなかなか思うように行かず、入国管理局と公安(警察)に何度も足を運ぶ日々が続いた。
空いた時間を有効に活用しようと思い、ボランティアで日本語教師を始めることにした。

その話を周りにしたところ、大学や外国語学校で教えてみないかという話が舞い込んできた。その誘いに感謝しつつも、彼らが求める滞在期間は数ヶ月と長く、そんなに長くは滞在していられない。もうすぐ灼熱の夏がシルクロードを焦がしに来るというのに前に進まぬわけにはいかない。

そこでカフェなどで気軽に教えるチューターをすることに決めた。ポスターを何枚も作り、武漢の主な大学やいつも親切にしてくれるお気に入りのカフェなどを自転車で駆けながら張って周った。その結果、掲示したその日から日本語を勉強したいという幾人もの連絡が入りKFCやカフェなどでレッスンを始めた。大学生カップルから上は63歳の男性まで、年齢層は様々だった。日本語をちゃんと教えるのなんて数年ぶりで、カンボジアのNGO学校依頼。最初は緊張をしている学生と一緒に、僕まで緊張していた。

そんな感じでこの日も自転車で20km離れた場所まで行き、レッスンをした学生二人が夕方、漢街というすごくお洒落で近代的なショッピングストリートに連れて行ってくれた。

歩行者専用となっており、入り口の警備員に駐輪場を案内され、歩道まで自転車を押していく。そこは歩道の一部に線が引かれ、スクーターや自転車がもうすでに何台か停まっている。管理人らしき男性がひとり右腕に赤い腕章をつけ、駐輪された自転車の間に立っていた。
スタンドのない僕の自転車は他の自転車とは綺麗に並ばず、その男性に言われてそこから3メートルほど離れたゴミ箱と壁の間に停めることに。その時、彼はめんどくさそうに自転車を軽く持ち上げ壁によりかけた。駐輪場代の5角を渡そうとしたが、あとでいいと言われ、鍵をしっかりと二つかけて、友達とその場を離れた。


東京でいうと表参道のような場所で、人通りも多い。これまで幾度となく途上国を旅してきた経験から、普段ならこんなところに絶対自転車を停めないし、柱を見つけて頑丈に固定しただろう。今までこの旅で何かを盗まれたことなんて一度も無い。ただこの日はこの男性がいたから彼を信じ、安心していた。

6時半に離れた僕らは、買い物が終わり、8時少し過ぎた頃元の場所に戻った僕らはその光景にショックを受けた。誰もいない駐輪場と消えた自転車。あったはずの自転車がシルエットのように脳裏に残っていただけ。

すぐさま漢街にいる警備員を呼ぶと同時に警察に電話をした。

警察署に行き事情聴取をしていると、先ほどの駐輪場の係員の男とその家族が呼ばれた。
見覚えのある服装と顔、確かにこの男だ。
警察の問いに彼は、
「何も覚えていない。」「気づかなかった。」「そんな自転車は知らない。」
と何も知らないとの一点張り・・。

確かに彼は8時前後に帰ったかもしれない。しかしそれ以前の6時半から8時までに自転車があったかどうかも覚えていないと言う。30台以上停まってる駐輪場を一人で管理している人もいるのに、その場所はわずか5、6台程しかない。それを見ていなかったというのはあんまりじゃないか・・。
その後の警察署の取調室の中では「知っている。知らない。」の言い合いが続き、しらばく修羅場と化した。
もちろん彼は自分の身を守りたい。僕らは自転車の行方を知りたい。
別に彼に請求するとか、訴えるとかするつもりなんか全然無かった。
ただ、嘘をついて欲しくなかった。

結局らちがあかず、警察に捜索をお願いして僕らは警察署を離れた。
夜中は0時をまわっていた。友達二人を家族が待つ家にタクシーで送っていく。僕が停まっている家はここからはるか遠く、もうバスも無い。疲れきった足を引きづりながら歩いていると屋根の付いたバス停とベンチが見えた。
ベンチに座り今日はどこで寝ようか、ここで寝てしまおうか、自転車は今頃どこにあるのか、今後の旅の計画などが頭の中をぐるぐる回っていた。
携帯のメモリーを眺めながら、ひとり気になる名前を見つけた。Richead
ある大学で英語を教える60歳代のアメリカ人。元アメリカの美術館で働いたが今はここ中国で教壇に立っている。彼とは他の外国人先生の家での夕食会を通じて知り合った。確か彼はこの辺に住んでいた。連絡を取り事情を話してみると深夜にもかかわらず、優しく迎え入れてくれ、この日は彼の家のソファーで寒い夜を明かすことが出来た。


盗難に遭った日がずっと昔のように感じるほど、目まぐるしく忙しい日々が始まったのはこの日からだった。

自転車が盗まれたとき、僕は決意した。

「絶対諦めない!」
「絶対に負けない!!」

ここで旅を終わりにしてたまるか。

自転車は無くなったけど、まだ大きな希望と大きな夢がある。
どんなに困難でも、正当な手段を使って必ず見つけ出してみせる。警察は動かないし、そのままではこの国で見つけるのは困難だということは知っていた。だから僕らは動いた。

次の日、ボランティアで知り合った仲間や街で知り合った友達など、武漢のあらゆる友達に事情を伝えるとみんなから全面的に協力してくれるとの返事が来た。
友達が友達に協力をお願いし、さらにこれまで出会ってきた中国各地の友達もインターネットで情報を聞きつけ、優しさの波はどんどんと広がっていった。

次第に有力者が協力に参入してくれ、メディア業界へと広がっていく。
中国各地からの新聞・テレビからの多数の取材にも多くの協力者が同行してくれ、時には過剰なマスコミから守ってくれた。
インターネットでのアクセス数が5万件を越え、様々な情報から段々と手がかりがつかめてきた。


そしてついに、政府が動いた。
遅れながらも武漢警察が全面的に協力してくれることになり、動いた後の巧みな捜査網と親切な対応には頭が上がらない。朝から深夜まで休むことなく働き、きっと疲れているだろう・・(><)。本当にその協力には感謝しきれない。

ネットを通じて最有力情報が入った。僕の自転車の特徴にどれもこれも一致している。
それは友達の友達の友達の友達・・・・で、場所やこの情報提供者自体が誰なのかわからなかった。
しかし刑事の力はすごかった。数分と経たずにその人がいる場所を見つけ出し、僕らは彼のいる場所へ車で向かう。

着いてから彼の顔を見てびっくり。

彼を知っている・・。

数週間前、中国新年の終わりにテレビ取材を受けていたとき、自転車にまたがり話しかけてきた少年がいた。そのときは花火の音や人ごみの中であまり話が出来なかったが会ったことや顔はよく覚えている。

彼は自転車が大好きで、その日も盗難自転車があったという自転車屋で、自転車の整備・洗浄を趣味で手伝っていたのだという。もちろん彼は自転車にだけ興味があり、盗難か中古かどうかなんて気にしていなかった。

その彼が整備した自転車の中のひとつがなんと僕の盗まれたアンパンマン号だったのだ。

珍しい日本製の自転車と専用のキャリア、旅仕様に手を加えておいたその自転車が珍しく、彼はしばらく眺めていたという。そのおかげで日本の防犯登録の文字など事細かに覚えており、それを伝えてくれた。

会った時に、

「君のあのかっこいい自転車はどこ?」

と聞くと、彼は、

「一週間前に盗まれたんだ・・。」

・・・。

言葉を失い、涙が出てきた・・。

彼は自分の大好きな大好きな自転車を盗まれてもなお、僕に協力してくれていたのだ。

なかなか言葉が出てこなくて、ただ彼を抱きしめた、

「ごめんね・・。ありがとう・・。」

彼は、
「悔しいけど、絶対見つけようね!」

彼の夢はいつか日本製の自転車に乗ることだそう。警察の車の中で、彼と約束した。
世界一周が終わって戻ってきたら、絶対彼に日本の自転車をプレゼントすることを。

彼が見たという自転車屋は閉まっており、その後の自転車の行方はわからなかった。

でも、もう少し、あともう少し。


夜も10時をまわり、誰もが疲れていたが、まだ皆諦めてなんかいなかった。

そして・・・見つかった!!

再び警察署に戻ると、テレビ局の知り合いの人が自転車を見つけ、購入したという情報が入った。
その彼も自転車好きで捜索に協力してくれていたという。
すぐに警察官が駆けつけ、自転車はその日中に警察署に輸送された。

湖北省政府の代表と武漢警察の刑事と共に受け渡しの記者会見が始まった。

捜索に当たって頂いた方々への伝えきれないほどの感謝の気持ちを伝えると共に、これまで僕を励まし支え、助けてくれた中国、特に武漢の皆さんへの感謝の気持ちを表明した。
会見の中でこんな会話があった。

政府、
「こちらですでに新しい自転車を用意させていただきました。」
僕、
「ありがとうございます。しかし無事に自分の自転車が戻ってきたのでお気持ちだけいただきます。」
政府、
「では新しい自転車は返金させていただきますね。」
僕、
「お忙しいとは思いますが、よろしかったらその自転車で西安まで一緒に走りませんか?」
政府、
「いいですね。今は忙しいのでもう少し時間ができたらぜひ一緒に行きたいものです。」
僕、
「では、楽しみにお待ちしております。」

会場には皆の笑い声が響きわたり、そのまま和やかな雰囲気で会見は終わった。

会見の最後に、盗んだ人も捕まったということが政府から直接伝えられた。

「ちゃんとこちらで処罰するので安心してください。」

僕は・・。
「捜索してくださり、ありがとうございました。しかし、僕もこの3日間とても苦しかったけれど、きっと彼にとってのこの3日間はおそらく人生の中で最も苦しかったのではないかと思います。十分苦しんだと思います。どうかそんなに罪を重くしないであげて下さい。」

政府、
「その気持ちは受け止めます、あとはこちらに安心して任せてください。」

 

長い長い長い戦いが終わった。
僕は、いや、僕らは不可能と言われた戦いに勝利した。

確かに盗まれたときはショックだった。しかし、多くの親切で優しい中国人、特に温かい武漢人の方々に励まされ、支えられ、助けられ、ここまで来ることができた。
街中を歩いていても、「自転車は見つかったかい?」「諦めるなよ!加油!」と優しく声をかけて下さる人々。
新しい自転車や、住む場所の提供、食事への招待、お金など、様々な面で寄付をしたいと申し出てくれる多くの人々もいた。
しかし、もう十分すぎるほどの優しさと温かい気持ちをいただいた。これ以上この国の方々には迷惑をかけたくない。彼らに負担してもらう理由なんてない。その気持ちだけが嬉しかった。だから一切何も受け取っていない。
自分の自転車も盗まれたにもかかわらず、僕の夢を応援してくれるという人々。なんてお礼を言ったらいいのか、本当に感謝しても感謝しきれない。同時にとても申し訳ない気持ちでいっぱいになり、本当にこれで良かったのかと悩んだこともあった。

インターネットの掲示板に書かれているのは必ずしも全部いいことばかりではない。人それぞれ考え方が違うのはしょうがない。

しかし毎日勢いが止ることのない励ましのメールと電話、そして3日間ずっと同行してくれた素敵な仲間達がいたから「絶対諦めない!!!」という精神は歪まなかった。

一段落した後、
「おめでとう!!」
 というメッセージと共に、

「あなたが私達に優しくしてくれたから、今度は私達が優しくできたのです。」

という嬉しい言葉をもらった。以前のブログにも記載した、

「自分が本当に困ったときに助けてくれる仲間」
を持てたことが本当に幸せです。

本当に本当にありがとうございました。


最後に、世の中を騒がせてしまった今回の事件でご迷惑とご心配をかけたことをお詫び申し上げます。

そして、自転車を見つけていただいたテレビ関係者の方、最後の捜索に全力を尽くしていただいた武漢・武昌警察の方々・湖北省政府の方々、影ながらインターネットで中国全土から応援し、励ましてくれていた何万人という優しい人々、巧みな手段を使い協力してくれたメディアの方々、遠く日本始め外国から応援してくれた方々、三日間休む間もなく同行し、通訳をしてくれたり、マスコミから守ってくれた武漢の温かい親友たちに感謝の意を表します。

中国の皆さんと全員で力を合わせて取り戻した自転車。
これからも大切にし、皆さんの夢を乗せて世界を走ってきます。
そして今後もさらに日中の友好関係がより一層深まることを願います。

ありがとうございました。

河原啓一郎(Keiichiro Kawahara)