2012年3月4日日曜日

-嬉しいニュース-



自転車捜索に協力していただいたあるご家族のお子さん;)

先日、嬉しいニュースが耳に入った。
今回の一件を機に、武漢のボランティア登録センターへの新規登録者の申し込みが殺到しているというのだ。
トレーニングプログラムもすぐに定員を超えて締め切られているらしい。

「外国人が自分の国のために動いてくれているのだから、私達だって。」

そんな微笑ましいニュースを聞いて心が温かくなった。
ある福祉施設の館長からお礼の言葉もいただいた。
 

日本語学校でボランティア先生として招かれ、主に発音や会話の授業をした。
出会った学生の中で、日本に留学して帰ってきたばかりのこの学校の卒業生がこんなことを言っていた。

「よく日本人はタイを『微笑みの国』と呼びます。でも私は日本が『微笑みの国』だと思います。」

彼女はこう話す。まだ彼女が日本語が全然話せなかった時、入国管理局に外国人登録証を発行しに行った。その時の対応してくれたスタッフは笑顔で一から丁寧に教えてくれたという。自国では見たことない光景だった。道に迷ったとき教えてくれる学生も、売店のおばあちゃんも、みんな笑顔だったって。

そして、彼女はファッション雑誌や広告に載るモデルたちの表情も、欧米と日本では違いがあることに気づいた。確かにそうかもしれない。欧米の澄ました表情のモデルに対して、日本のモデルはなんとも爽やかなの笑顔じゃないか!

別の側面から言うと日本には「笑顔でごまかす」という言葉があるように、コミュニケーションにはよくも悪くも笑顔は欠かせない。

自信を持って言おう。日本は『微笑みの国』だって。
 

外国をよく知らない人たちは時に、たまたま会っただけの一人の外国人を窓口にその国を見ることがある。きっとそういう経験がある人もいるだろう。例えばとても失礼なフランス人に会い、嫌な思いをしたとき、あたかもフランスという国とそこの人々の印象が悪く思えてしまうことがある。同じようにある人が、優しい日本人に出会い親切にされ好印象だったと捉えた場合、日本が魅力的に感じるかもしれない。たとえ日本の悪い噂しか聞いていなかったとしても「あぁ日本人て、いい人なんだね。」と思うかもしれない。

テレビや新聞のニュースで見た情報だけでそれを「危ない国」「危ない人々」と呼ばれてしまうのも事実。他にもっともっといい側面が沢山あるのにもかかわらず。

わずかな情報であたかも全て知っているかのように振舞うのは賢明ではない。しかし、それが大きかろうが小さかろうが時に感情を揺さぶり、真実を間違った方向に曲げてしまうのも情報の力。


知らないところで「私」という「窓」を通して日本を見ている人たちがいる。
連休や卒業旅行に気軽に外国に出る人も、それを意識して外国を歩いているだろうか。


いつか東南アジアのある屋台に立ち寄ったとき、そこの女性から僕と顔を会わせるなりいきなり罵声を飛ばされたことがある。あとで聞いたらその日の客に失礼な日本人バックパッカーがいたらしい。そのあとに来た同じ日本人の僕までもとばっちりをくらってしまった。

またインドのバラナシを歩いていた時、「スケベ日本人!」と遠くからバカにする声が。
・・一体何をしたんだ。何をしているんだ。怒りと共に同じ日本人として恥ずかしくなった。

 日本人だけじゃない。アメリカ人でも中国人でも、自分の国から一歩出れば「外国人」。

『 大いなる力には、大いなる責任がある。 』


ある小説の登場人物が発した言葉。

それを自分なりに噛み砕いて理解してみる。
今中国中が僕を知ってしまった。だからって今までの僕と何が変わるわけではないが、一つ一つの行動の責任の重さが少し異なる。

今までもそうであったと願いたいし、これからも「日本人て素敵だな」って思われる人でありたい。



1 件のコメント:

  1. 河原先生チャオ☆

    そうだね!責任や、今河原先生は窓になってるかも。
    でも河原先生だからできることがあるはず!もっともっと世界を堪能しちゃえ☆

    中国のこともっと知りたい!情報希望☆!

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