2012年6月17日日曜日

ー忘れてきたモノー



*写真と記事の内容は関係ありません

2度目の武漢に来る前、杭州に滞在していたときの事のこと。
夜中2時くらいに友達からQQ(中国版skype)の連絡が入った。その友達は上海で泊まらせてもらった人の当時のルームメイトで、今はアパートも職場も変えてはいたが、まだ上海に住んでいた。その彼女が週末田舎に出かけ、その帰り道いわゆる白タクならぬ白バス(違法営業バス)で帰る時のことだった。バスを乗り換えるときに、財布も携帯も全て入ったバックを、始めのバスの中に置き忘れてしまったのだ。

真っ暗な田舎道、白バスも行方をくらまし、帰る手段がない・・。通りがかりの人に助けを求めるがしばらく無視され続ける・・。すると声を掛けたある優しい青年が携帯を貸してくれ、QQを通して僕にSOSを送って来たのだ。
詳しい場所をチャットで聞くが彼女は半ば取り乱し「omg..omg(オーマイガー)」と繰り返すのみ。街の名前はわかったが、迎えにいく詳細な場所までは伝えきれず、そのまま携帯を返してしまったのか通信が途切れてしまった・・。 

*写真と記事の内容は関係ありません


電車とバスでそこから6時間程の場所。翌朝、場所が分かり次第電車に飛び乗り迎えにいこうと、パスポートを握りしめ外で待つが午後になっても一向に連絡が来ない。僕以外にも早く彼女の元に行ければと思い、杭州上海、上海周辺の友達にも事情を説明して現在地がわかり次第助けられるように備えた。

夕方近くになり、ついに彼女から連絡が入った。新しい番号だった。

「大丈夫?今どこにいるの??」
「うん、上海に帰れたよ〜!ごめんね心配かけて・・。」

どうやってお金も携帯もない女の子一人が上海に帰れたのか。
経緯を聞いて驚愕した。

彼女はその後助けてくれる人に巡り会えず、途方に暮れていた。
そして一か八か警察署に行ってみる事にした。そう、日本や外国だとまず最初に警察署に行くだろう。しかし、この国は盗まれても、困っても警察に頼るのはまず第一選択ではない。理由はお判りだろう。

歩き疲れ、泣き疲れ、ふらつく体にむち打ちながら警察署に着いたのは深夜だった。彼女は事情を説明した。そして警察が彼女に取った行動とは・・。

パトカーで近くのホテルまで案内し、従業員に彼女を無料でホテルに泊まらせる事をお願いした。しかも翌朝の上海まで帰るバスの運賃も支払ってくれたのだと言う。

なんて微笑ましい、素敵なお話。
最近これまでに増して悪いニュースばかり耳に入って来ていたので、彼女のこの財布事件が意外な結末で終わって嬉しいと同時に、この国で旅する事の安心感が少し増えた。

*写真と記事の内容は関係ありません


一方、最近日本でもSOSを出した人がもう一人いた。
Dariaちゃんだ。この日、関東を台風が直撃した。
横浜の仕事場から自宅藤沢までの電車が止まるかもしれないと言われ、急いで会社を飛び出し電車に乗るも、案の定、大船駅で止まってしまった。駅員に聞くも代替バスは出ないとのことでタクシーに乗車、高額を叩いて家に向かう。
すると・・鍵がない。会社に空のお弁当箱と一緒に忘れて来たのだ・・。
友達が住む僕のマンションに向かおうとするが、外にタクシーは走っていない。携帯の電池も切れた・・。大嵐の中歩いて駅に戻り、駅員にタクシーの番号を聞き公衆電話からタクシーを呼ぼうとするも千円札しか持っておらず。駅員に両替をお願いするも「いや、もう退勤時間過ぎてるから。」と冷たく断られる。仕方なく往復40分歩きコンビニで両替をしに行く。背が高く見えるハイヒールは美しいが豆がつぶれ出血。こんなにハイヒールを恨んだ事はなかった。コンビニの公衆電話でタクシーを呼ぶがもう空きのタクシーは無いと断られる。しかたなく駅に戻り雨を凌ぎながら夜を明かそうと思ったが駅員にどかされてしまう・・。暴風雨で風邪を引きそうだ・・。エアコンの室外機から少し温かい空気が出ている場所をみつけ、手をかざす。暗闇の向こうにふと目を凝らすと段ボールが一枚・・。自分を囲うように立てて、風を凌いだ。


寝れるわけがない。再びそれから1時間歩き、24Hやっている(はず)のマクドナルドへ。びしょぬれで、もはや傘など意味がなかった。シェルターになるはずのマクドナルド、着いた。しかしそこで言われたのは「台風のため閉店します。」
   ・・・。

もう泣きながら、飛び込んだのは交番。びしょびしょになりながらも事情を説明すると、警察官は大笑い。笑ってごめんねと言いながらも鍵屋さんに頼もうかと聞くが、お金が無いと言うと、それはダメだと断られる。
さすがに追い出す事はしなかったが、彼女をイスに座らせて、電車の始発までここで待つように言った。しかしそれ以上はなかった。

翌朝、始発に乗り友達が待つマンションへ駆け込む。彼女達は温かいシャワーと服、毛布を用意してくれ、服を洗って乾かし食事も作ってくれた。長い地獄のような夜を越え、報われた瞬間だった。
ありがとう、愛ちゃん、みずきちゃん。

*写真と記事の内容は関係ありません


しかしどうだろう、この二つの出来事。
普通皆が想像することと逆の展開だったのではないだろうか。

失くした人が悪い? ・・視点はそこじゃないでしょ。そういう視点でしか見れないひとも悲しい事にいる。皆に起こり得る事で、問題は落ちた後、そどう這い上がるか。

なぜ、駅員は冷たくあしらい、凍える彼女を追い出したか。なぜ警察官はずぶ濡れで泣いている彼女を笑い、それ以上の手を差し伸べなかったのか。
それは、ただその人の優しさが欠如していたからとか性格の問題だけではないのではないだろうか。

日本には「フレキシブル」(柔軟性)が少し欠けているのではないかと思う。仕事の規律や退勤時間だけを気に掛ければ良いのか。自分のノルマだけをこなし、給料をもらい、家に帰れれば良いのか。そうじゃないでしょ。
通常の業務+α何か社会に貢献しようとしている企業と、利益重視の考えだけが先行している企業と、どちらが今後成長していくのだろうか。一見後者にも見えるが、今はバブルではない。結局のところ結論は明白だ。
企業レベルでも、個人レベルでも同じ事が言える。お金がたくさんある人はその時はもしかすると周りに人が集まるかもしれない。しかしもしお金が無くなったら?会社がクビになったら?父親の会社が倒産したら?
その時が「本当のひとりぼっち」だ。

反対にお金はなくともいつも人に優しく、人が困っていることにすぐに気づける。そんなひとの周りには始めから人が集まるし、本当に困った時、自然と手を差し伸べてくれる人たちがいるだろう。そして例えば、万が一倒産しそうになった時、一人ではどうしようもできない困難が迫った時、きっと助けてくれる人たちがいるだろう。

話が一人で盛り上がってしまった。
つまり途上国と呼ばれる国は基盤が安定していないという面もあるが、良い側面を見れば、物事をまだ少し柔軟に考えることが出来るということ。日本の場合、例えば学校、「年間行事予定表」に通りに事が進み、もし新しいイベントを入れたいときには6ヶ月前から申請し、山のような書類と親方の判子が必要だ。イレギュラーへの対応に戸惑う職員はアワワする。
マニュアルに載っていないからだ。
マニュアルがない、あるいはマニュアルはあくまで基本としてその都度臨機応変に対応できる人たちがこちらの国々には多い気がする。もっとも、マニュアルがあってもないような世界なのだが・・。

どちらが良いとか正しいという事は言えない。
規律が守れないから秩序が保てないのも事実。

しかし、僕が思ったのは『お互いから学ぶ事』って意外にもとても多い。
先進国だから全て先を行き、現在ある何もかもが正しいと思ってはいないだろうか。発展の過程で何か忘れてきたモノはないだろうか。

旅をしながら、これまで出会った事のない、純朴で素朴な何かに触れている気がする。


我以外是皆我的師。(自分以外は皆、自分にとって先生)
(祖父の座右の銘)


そしてお互いに良いところを共有し合った末に「ありがとう。」と相互の感謝の気持ちが交わされれば、きっと、これまで以上に良い関係が築けるのではないかと思う。




日中国交正常化40周年、これまでも、これからも、永遠にお隣さんです。




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