「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2012年9月26日水曜日

ー被災地支援が抱える葛藤ー





車窓からはたくさんの仮設テントが見えた。
雲南省の大自然の中を電車と車で走り抜け被災地へ向かう。
まるで水墨画のような、思わず見とれてカメラを取り出す時間さえ惜しいほどの壮大な景色。その景色に全く似合わないブルーのビニールテントが目につく。ついに被災地に入ったのか。

18日の最大の暴動の日が過ぎるのを待って僕らは貴州貴陽を発った。
前日から家の前には私服警察が24時間待機している。
荷物を抱え脇目もふらぬまま一階の扉から飛び出しそのまま警察車両に飛び乗る。2日ぶりに外の空気を吸えたのはこの家から車までのわずか数メートルだった。

「ここは私の街、私の街では私があなたを守る。」

3晩泊まらせて頂いた家の娘さん、Chundyが僕らに言った言葉だ。
ブーツからジャケットまで全身ブラックに身を包み、自分を“ブラックウーマン”と呼んでいた彼女は独特の世界観を持っていて、正義感に満ちあふれた女の子だった。

kei達は一歩も出ないでいいからね。」

地元政府や警察との仲介も全て彼女と、北京から飛んできて、身分を隠して一緒に同行していた記者達がやってくれた。

僕:「支援物資と僕の大切な友達には、指一本触れさせない。」

記者・Chundy:「Keiには指一本触れさせない。」

・・



日中関係がこれまでになく悪化し、中国国内での日本を潰せという声が高まる中、いかに僕らがとっているこのアクションが重要で、注目されているかがわかる。新聞・テレビは悲しくなる程デモや暴動の話しか伝えず、外国にいる本当の中国を知らない人々はあたかも中国人全てが暴徒化してしまっているのではないかと思い込ませてしまう伝え方だ。
しかし、政は政、民は民。

テレビに映る、日本製品を破壊し盗み狂気に走る人々はごくごく一部。実は皆その一部の中国人に、同じその他の多くの善良な中国人が頭を抱え、憤慨しているのだ。
メディアは悲しくもそんなデモに隠れてしまった本当の中国の姿をなかなか伝えない。

被災地で雨漏りするテントの中で寒い夜を過ごす被災者も中国人。車を破壊されたのも中国人。日本のパソコンを全て盗まれ閉店に追い込まれた家電屋の主人も中国人。

「理性的になろう。」

そう呼びかけが広まり始めたのは最近のことだった。
実際デモや破壊を繰り返す人々の1/3は“例の島”がどこにあるのかどうかすら知らない。ではなぜ彼らは怒り狂うのか。無知で頭がおかしいのか。そういう人ももしかするといるかもしれない。しかしその多くの理由、反日運動の背景には、こちらの政府に対する不満の矛先を外国に向け逃がす、11月の代表選挙に絡んだ、国民に対する卑劣な洗脳が原因だ。公には言えない、weiboに書き込まれてもすぐに削除されてしまうが賢い国民はわかっている。


先日ある人から連絡が入った。

「私はかつて、反日デモのリーダーをしていた。しかし考えが変わった。間違っていた。君を支持する。」

人の心は人の心によって変わる事ができる。
元反日リーダー、今は日中の和平を願う一人の中国人。彼のような人が他にも大勢いるに違いない。



護衛付きの警察車両で貴陽の駅に向かい、駅に着くなり今度は鉄道警察に引き継がれる。改札を通らず警察専用通路からプラットホームへ出た。その映画の様な情況に自身でも「切符買ってない・・」なんて事全く考えもしなかった。
寝台列車に乗り7時間、雲南省昭通へ。
昨日は1時間、一昨日は3時間の睡眠しか取れていなかったので寝台車の堅いベットが腰に心地よい。体を横にした途端、まるで温泉の湯船につかったときの様なため息が出た。枕元で弁当をくちゃくちゃ食べてる警察なんてのも気にしない。これで眠れる・・。そう思ったのもつかの間、30分に一度携帯が鳴るものだからたまったものじゃない。中国本土だけじゃなく、香港・台湾・日本のテレビ新聞等のメディアが意地でも寝させてくれない。しかしこのアクションの起こす波は良い意味でこの社会に影響を与えつつある。なるべく断らないようにしていた。ただ、もういい加減体力が持たない。電源を切ろうと決心した時、僕の生まれた地元長野の「信濃毎日新聞」から電話が来た・・。地元ととなると断れない・・。これまた話が長い・・。
そうこうしているうちに夜23時。昭通の駅に到着した。

地元政府がホームで待っており、「日本語や英語を話さないように。」と伝えられ、裏口から政府車両が待つ広場まで一気に出た。そこから車で数十分、用意されたホテルに到着、その夜はここに泊まる事になった。

どうして、ここまで綿密に、周到に事が進められたのか。
実は僕のweiboに様々な有力者からの支援が届いていたのだがそのうちの一人に毛利輝という人物がいた。彼は雲南省昭通出身の大物政治家で、個人的なボランティア活動にも力を注いでおり、彼を主人公にした映画も作られていた。ネット上には何万という書き込みがあるが故、彼からの書き込みに気づいていなかったのだが、weiboの会社のディレクターから直接支援者の中の有力者情報を伝えられた。そうして毛利輝との連携が実現した。




しかし政府は政府だった。僕らには僕らの都合があるが、向こうには向こうのやり方があった。そのおかげでほぼホテルに丸2日間軟禁状態だった。
3時間程会議室で協議が行われる。地元政府は言った。

「支援物資を持ってきてくれてありがとう。私たちが預かります。」

まさか、預けるわけがない。国民の信頼が失落した政府と、それに繋がりがある汚職だらけの中国赤十字社に渡せる支援物資など、ない。もし渡したとして、僕に支援物資を託してくれた武漢・南陽・西安の支援者がもしそれを聞いたらがっかりするだろう。保健衛生局の方々も後から来たが、丁重にお断りして帰って頂いた。

話を聞けば聞く程、彼らは自分の役職の事ばかり考えており、被災者の事など全く気に掛けてもいなかったように思える。

結局僕らが出した答えは、一度「政府から離れる」こと。
予め遠藤さんが連絡とっていてくれた地元NGOにコンタクトを取る。
「監視したい」半分、「安全を守りたい」半分の政府はどうしても着いて来るという。どうぞ、好きにしてください。


最も被害が大きい地域の一つ彝良に入る。
僕らが乗った政府車両はNGOの仮設事務所に向かうと思いきやまたもや彝良政府の敷地内に入った。ため息・・。また軟禁かと思いきや、こちらでNGO車両に乗り換える為にこの厳重警備が効いた場所を選んだのだとわかった。

NGOのスタッフで医師だと言う男性が待っていた。
ずっと後で知った事だが、実は彼はボランティアに変装した私服警察のひとりだった。
(「NGO」といっても中国には「本当のNGO」は事実上存在しない。全て政府のコントロール化で運営されている。)



事務所に到着。団体の概要や活動内容の説明を受ける。
その時衝撃の事実を知った。
震災発生11日、918日付で「ボランティアは必要ない、撤退して被災地から出るように」という命令が政府から出されていたのだ。それが記された紙を見せられ、唖然とした。 この団体だけで17日までは253人のボランティアがいたのだが、その後は激減し30人に。事務所管理もしながら現場にも出るという人手の足りなさだ。もちろん、彼らも家に帰るように命令されたが地元NGOとして意地でも残った。現地入りした団体は10団体にも満たない。

3時間程、ボランティアの受け入れ再会はされないのかや震災発生からこれまでに浮上してきたいくつもの問題について話し合った。東日本大震災を経験した僕らの体験や、日本ではバラバラに集まるボランティア志願者をいかに組織化してチーム・団体として力を発揮して被災者のニーズに応えて行くかなど、情報提供・共有もじっくりと行った。

しかし、部屋には僕らに着いてきた政府の人間達がおり、彼らが本当に言いたい正直な気持ちが聞けなかった。でもその話す表情で、痛い程この状況下での活動の苦難さが伝わってきた。上からの圧力と、今も辛い生活を送る被災者を思う気持ち、限られた行動範囲、色々な問題が複雑に絡み、もどかしさと不満が積もっていくばかりだった。

続く・・

facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎)
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