2012年9月27日木曜日

ー届かぬ声ー




実はYiliangに入る前に、被害が大きかった場所の一つ、昭通区を訪れていた。
昭通市で軟禁状態の時に、
「路線バスも出ているんだ。いい加減被災地に行かせて欲しい。」
でなければ明日朝にでもホテルから逃げるくらいの気持ちでいた。
結果僕のしつこさに政府も折れ、車3台人を満載して、昭陽に向かう。
道中、車内で日本のラジオスタジオから電話がかかってきたのを覚えている。お尻が10cm浮く程のでこぼこ道をひたすら進む大変な時に、一体なんだ。毎月一回の収録が今日だった事をすっかり忘れてしまっていた。しかし、おかげで臨場感がある実況ができ、これまでで一番レポーターらしい話が出来たような気がする。車内のお偉いさん達は日本語がわからず、まさか日本のメディアと話していたとは思っていないだろう。


中国の被災地支援は日本のそれとは少し異なる部分を見つけた。
まずこちらでは被災者の“声”が気の毒なくらい、世間に届かない。例えば政府の支援が届かなかったり、足りない場合などは意見・新たなニーズとして上がり、追加支援などを容易に依頼できる。復興のフェーズが上がっていくにつれて変容するにニーズに対応しながらそれなりの継続支援はなされているのが日本だ。
しかし社会体制上、政府への不満や意見を言う事が困難な中国は、たとえ支援が足りなかったとしてもなかなか大きな声を上げる事ができない。もし楯突いたりするものなら恐喝され今後の継続支援や義援金(別に深刻な問題あり)に悪い影響が出てしまう。
震災支援で世間の目と一般のボランティアの人手を必要としているのは始めの数日の危険な人命救助のフェーズを除いてはその後長期的に続くはずだ。なのに震災から数日でボランティアを中止させるというその考えが理解できない。もちろんやむを得ず去ったボランティアも、残った団体も理解に苦しんでいる。



なぜそんな酷なことを平気でできるのか。理由がある。
震災とは国にとって負の出来事で、11月のリーダーが変わる代表選挙にも不都合なことなのだ。テレビをつければ、国がいかに被災地復興に力を注いでいるのかということを、これでもかというくらい華やかな映像と音楽で編集し、繰り返し繰り返し流している。あたかも、“復興は順調。震災は過去のもの”そう言っているようだ。だまされるのは狭い見識のステレオタイプの人間に限らない。新聞テレビをそのまま情報としてとらえて信じ質素に暮らす人々の目にもそう映ってしまう。


市街地から車で一時間ほど山の小道を走り抜け、仮設テント村に入る。
40張程のテントに200人近くが暮らしている。
足下はぬかるみ、長靴でなければ靴は泥に埋まってしまうほどだ。
見上げれば断崖絶壁の山々に囲まれ、地滑りの跡があちこちに見える。今まさに土砂崩れがあったのではないかとも思えるほど未だに湿った土砂がゆっくりと動いている箇所もあり所々通行止めになっていた。

動画>>you tube

http://www.youtube.com/watch?v=zD6N6YHkiL4&list=UUjNB-I3R643_-O1T_QS6Hqg&index=2&feature=plcp


「寒くないですか。何か不便なことや必要なものはありますか。」

あるご高齢の夫婦に話を聞いてみた。

「いやあ、ないね。満足しているよ。」

本当だろうか。その暗い表情と、周りを気にする落ち着かない目線、寒さにこすり合わせるしわしわの彼らの手を見るとそうは思えない。

ボランティアに化けて一緒に来たプロの北京の有名ジャーナリストが後で人が少なくなった時に再度聞き返した。

「本当に必要なものはない??」

その彼女の問いに老夫婦は、

「う、うちは足りてるけど、他の家のは色んな物が足りないし、朝晩は寒いみたいだよ・・。」

おそらくそれが彼らが本当に言いたかったことだろう。ジャーナリストも確信した。しかしこれだけ多く政府の人間がいれば被災者は本当の心の内を明かす事ができない。本来ニーズを調査し、要望に対しフィードバック支援をする立場にいなければならない人間達が恐れられている。被災者(国民)に蓄積されていく不満は結局あとで自分たちに返って来ることは考えてのことなのだろうか。このツケは大きいぞ。


押し殺され、届かぬ被災者の“声”。
僕だからできるボランティアの方向性がだんだん見えて来た。

続く・・


http://www.infzm.com/content/81166

日本青年中国 遭“袭击
(襲われた時に助けを求めたメディア。蒼井空の後の特集・・。)





  

facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎)
http://www.facebook.com/coucou.kei



0 件のコメント:

コメントを投稿