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2018年11月15日木曜日

中国のレスキューチームと共に、ミャンマー北部で起こった地震の支援へ



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中国雲南省彝良の被災地から昆明に戻った直後、すぐ隣のミャンマー北部で地震があったと知り合いから連絡を受けた。

ミャンマーと言えば2008年夏、サイクロンナルギスにより多くの犠牲が出た数週間後に北部のサガインという村の医療支援に日本のNGO( JAPAN HEART)に加わって訪れていた。突然当時の記憶がよみがえると共に、ミャンマーに行かなければという胸騒ぎがした。

 実は雲南地震二回目の支援からはとても強力なパートナーが一緒にいた。チェンレイ。北京出身の女性、中国トップの大学を卒業後ロンドンでマスターを取得して帰国直後、ネットを通じて僕に連絡をし、以後共に活動している。エチオピアやウクライナでのボランティア経験があり、語学に堪能、好奇心や勇気にも満ちあふれている。政府や警察、メディア、スポンサー等の間に入って通訳もこなしてくれた。彼女がいなかったら成し遂げられなかったことが幾つあるだろう。積み重ねたキャリアを停止してまで僕に賛同してくれた彼女には感謝しきれない。

僕がミャンマーに行きたいと言うと、彼女も行く気満々、早速在昆明ミャンマー大使館の場所確認や現地までの交通や復興情況などを調べ始めた。


  ミャンマー地震2.jpeg
すると同じ頃、ジェット・リーが創設者である中国最大の公益団体《壹基金(イーチジン)》のレスキューチームの隊長達もミャンマー支援に向かう準備をしており、同じ日の午前に昆明のミャンマー大使館にビザ申請をしていた。
その夜、隊長から電話が入り、彼らもミャンマーに行くということをそこで知り、壹基金メンバーとして一緒に行くことになった。
この隊長さんとは、先月北京で彼と僕と医師と三人でTencent Weibo Charity主催のもと義援金を集める為に共同チャリティー講演会をした時以来の仲。
 調べたところ、(当時)まだ中国−ミャンマー間のボーダーは陸路ではビジネス目的以外開放されておらずバスでは国境までしか行けないことがわかった。そんな時に壹基金と一緒に飛び、救援活動ができることになったのは不幸中の幸い。(当時)2年前にアウンサンスーチー政権に変わり民主化したにも関わらず古い軍事体制は残っていた。特に北部のカチン州政府と本部ミャンマー政府との紛争は未だに続いていて毎月死者が出ている。
壹基金は5人。そのうち3人はレスキューチームの隊長。
突き出たビールッ腹、寒いジョークにワハハッの大笑い、とても隊長には見えなかったが数々の災害での救助経験があるプロの人達。

今この日中政情不安の時期に、中国と日本が協力して第三国を助けにいくというこのアクションは今後にも大きな意味を持つと思う。
中国西安に保管してある自転車にはまだまだ戻れそうにない。

 ミャンマービザ取得まであと一日。
壹基金とのミーティングで今後の動きを確認し、装備を整える。

 昆明での宿泊は北京のグローバルタイムスの記者に紹介してもらった友達の大きなマンション。一週間以上泊まらせていただきその後も荷物をしばらく置かせていただいた彼女も元記者で、今はカフェのオーナーさん。

支援物資の薬品などを購入したついでに、昆明にある雲南省最大の巨大市場でLEDのクリスマスライトを大量(計150m程)購入し、カフェの中と外を飾り付けた。超大都市を除いてクリスマスがあまり盛り上がらない中国、クリスマスのライトアップや音楽を聴いてウキウキしてしまうのはグローバル化した日本の血が騒ぐ為だろうか。
 ミャンマー地震3.jpeg
 僕のユニフォームに袖を通しポーズをとる可愛い近所の女の子。
壹基金は半政府干渉であるも様々な公益を行っている。彼らにとって壹基金は憧れの存在、交代交代に帽子やユニフォームを交換して写真を撮っていた。 俳優ジェット・リーが創設者ということ人気の一つ。しかし支持される一番の理由は、他に信頼出来る組織が中国にないことだろう。前回までの記事でも少し書いた赤十字は政府傘下で完全に腐敗しており、国民からの信用はまるで0。NGOが簡単に組織できない中国では他に頼れる団体もなく、災害がある度に義援金は壹基金に集中する。それだけ彼らにかかる期待と責任もまた重いのだが。


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 2008年夏、ミャンマーで死傷者20万人を出す大きなサイクロン(巨大台風)があった。僕が当時ボランティアをしていたミャンマー・サガインという村でも今回の地震の影響があったらしい。喜びも悲しみも、生と死も見てきた思い出深い場所だ。
あの頃は軍事政権下で、目的によっては簡単にビザは取れなかった。特に自然災害や紛争関係になると独裁政権というのは外国に対して扉を狭くする。
国連、各国から支援物資満載の飛行機も首都ヤンゴンにすら入れず、タイのバンコクで足止め、政府が用意した輸送機に移し替えて輸送されて行ったがその行く先は誰も確認できない。その後、被災者に支援物資がちゃんと全て行き渡らず未開封のまま闇市で売られていたのも見た・・。
スーチー政権に変わり、この国の何が変わったかというのは話が長くなるので今回は端折る。

なぜ当時入国できたかというと、NGO代表吉岡医師が長年かけて築き上げて来たミャンマー政府との関係と、人々との信頼があったからだ。団体が全て手続きをしてくれたが、聞いたら18カ所の許可証が必要だったという。
吉岡医師、NHK「情熱大陸」など数々の番組でもお目にかけた。僕がミャンマーから帰国した一週間後にもNHKが入っており、その後僕以外の仲間が皆映っていたドキュメンタリーを少し残念な気持ちで見た覚えがある。


ミャンマー地震5.jpeg 
 さて今回無事にスムーズに3日間でミャンマービザがおり、中国の公益団体壹基金と共に昆明からミャンマー第二の都市マンダレーに飛んだ。肌寒い雲南省から少し着込んで来て、さらにそれぞれに大きなバックパックを背負っているのでマンダレーの空港に着いたとたん、滝のような汗。入国手続きを待つ間に皆一斉に脱ぎ始めた。飛び出したビールッ腹、残念ながら良い光景ではない。伝統衣装ロンジーをまとった空港職員達が皆笑っていた。なんだか笑顔が温かい。ミャンマーに来たぞというワクワクした感覚がこのとき沸き上がって来た。

今後五日間は彼らと共に行動させてもらう。
そのあとは情況によって2008年に参加させていただいた日本のNGOと共に動く予定。

2012年12月10日月曜日

もっと深い山の奥で見つけた笑顔と、アジアの闇、中国の闇。

 さあ小学校へ支援物資を配布し終えた!次にアクセスの不便な村々を回る!
協力して頂いているNISSAN自動車(日産中国)から提供された車二台にはまだまだ荷物が積んである。僕らが北京や広州などの大都市から集め送られて来た支援物資。
この村を去ると聞いて村の人たちが出て来て見送ってくれた。

 子供達もたくさん出て来たぞー!本当いい笑顔!!
首のリボンは中国の学生の印だね。暖かくしていっぱい勉強するんだぞ!



サッカーボール、バドミントン、縄跳びなど体育用具と一学年分のカラーペンも寄付した。これでいっぱい机の裏に落書きと思い出を残すんだよ!僕のようにね(笑



道の悪いこと悪いこと・・ゆっくり進んでると追いかけて来た子供達にすぐ追いつかれちゃう!「ウルトラマン!」とか言いながら踊ってる男の子が可愛いかった(笑
この村やけに子供、多いなー!!



この頃まだ一人っ子政策が続いていたんだけれど、この政策には例外がある。
農村や少数民族の家族、親が医師だったりすると二人まで子供を持てるとか。
「黒子」って聞いたことあるだろうか。
原則二人以上の子供を産むと高額の罰金を取られるが現実子供は生まれてくるもの・・そんな大金払えない・・農家にはもっと手が必要・・そして戸籍を登録せずに家族の中で隠れて育てられる子供を俗に黒子(ヘイズゥ)と呼ぶ。

中国南部、特に四川、雲南、広西、貴州など比較的貧しい地域に多く、その数何百万人から何千人と言われている。

実際それでも農村は嫁が足りず女の子が欲しい、労働力が足りず男の子がもっと欲しい。その為中国南部と国境を接するミャンマー、ラオス、ベトナムからバイヤーに誘拐され中国に強制的に奴隷として送られてくる東南アジアの子供達も未だに多い。悲しいし、許せない!

これがなかなか普段知ることが出来ないアジアの闇。


さて一団は雲南省のさらにさらに!深い山の中まで入っていく!
4輪駆動の日産車の前でしっかり車を見張っているのはケンコバ似の日産中国の社員(笑)
笑わないと顔が怖いけどすごくいい人!
いつもタバコを勧めてくる、吸わないってば!って言ってるのに。。




頭のハンパなく良い相方チェンレイと北京から来てくれたシティーボーイズ達はしっかりミーティングで作成したリスト通り平等に配布できるように目を配っている。全部中国語でやりとりしている中時々ちゃんと英語で今の状況を伝えてくれるのが嬉しい(涙)もう僕いなくても良いんじゃないのかってくらいみんなすごい頑張ってくれてる。



おじさん、とても嬉しそう!
彼らボランティアの若者はみんな仕事や学校から休みを貰って来てくれた。
わざわざ2000kmも離れた北京から・・本当優しさの塊でしかない!




あ、ほら僕だって頑張っているよ♪



チェンレイが子供にお菓子をあげようとしたら・・


逃げられた!!(笑)




おばあちゃんと孫で少数民族の衣装を着て着た!

可愛すぎる! おばあちゃんの髪型真似したい! いやおじいちゃんかも!!



一気に標高千メートル程上がり、下がってはまた上がるの繰り返しで車も疲れているみたい。ケンコバがいるから全部任せちゃう!頼もしい!


 子供服もいっぱいあるよ〜!
めっちゃジャケット着込んでる人たちと上のお母さんみたいに薄いTシャツの人といるけど、これ絶対寒いでしょー!



背中に担いで来たカゴが寄付の服でいっぱいになった!
このカゴ昔昔長野のおばあちゃんちのリンゴ畑で見たことある!!
今もあるのかな・・



民族の衣装も、カゴも家も、全て手作り。


ほら、日本人も一人頑張っているよー!(汗)



だからお母さん、寒いでしょ!!
持ってるジャケット着よう!!

でも素敵な笑顔!




父さんカゴを忘れたのかい?笑

この規格が同じ耳まで覆える黒い帽子、実は全部新品!
友人の帽子の会社が寄付にって、数百個送ってくれた!本当有難い。



なんか恥ずかしいけど僕の名言:愛心無国界(国境のない優しさ)
にちなんで愛心無省界(県境のない優しさ)
と描いて見たけど。

この赤ん坊!激しいドヤ顔!!! 



平等に渡ったことを確認して次の村へ行こうとしていると・・


村のおばちゃんがアッツアツのゆで玉子を作って持って来てくれた!!!
きっと家の鶏が産んだんだろうなー!お腹空いていた僕は速攻で丸々口に放り込んだら、

爆笑しながら「そんな急いで、喉つまるでー!!」
ってどつかれた笑
やっぱりその後むせて口から飛び出した・・・泣



助け合いって相手を笑顔にするけど、こっちが笑顔じゃなきゃ何を受けとたって相手も笑顔になんかならない。今目の前に見えているものって必ずしも良いものだけじゃない。しょっちゅう悲しい気持ちになるし、怒りが込み上げてくることだってある。それってつまりは不平等から来るもの。不平等をなくすのは本当に難しい。だけど不平等な世の中の中で平等なものをもっと見つけて増やしていくことはできる。例えば笑顔。君より僕の笑顔の方が優れているなんてことないんだから。



2012年12月2日日曜日

平等な支援とは




5年に一度の党首を決める話し合い(通称18大)を前に政府が敏感になっていた。(実は5年前から決まっているのだけど・・)この一ヶ月程前から全国のメディア記者は政府に都合が悪い事は一切書けない。書いても削除されるか、ヒドいときは内密に逮捕される。
日中関係の下りは特に茶を濁す話題トップ3には入るので、静かに音を立てず、再び被災地に行った。

日産さんになぜかもう一人便乗してきたものだから人間8人と大量の支援物資で二台の車は天井までいっぱい。泊まらせて頂いたカフェオーナーと商店街の新しいお友達に見送られ昆明を出発。
台湾風味フライドチキン屋さんから世界一上手いと自慢するチキンを持たせてくれた。

途中昼食で立ち寄った高速のレストラン、超高かった。運転手さんチョイスで入ってしまったが、僕らの一日の予算が一食で消えてしまった。探せば地元の食堂で5分の一ほどの値段でお腹は満たせる。僕らはこんな高いものを食べにここに来たんじゃない。店を変えるだけで、どれだけ被災地の子供にノートやペンを買えるだろうか。もうこういうのは最初で最後にしよう。




9月に見た被災地が見えて来た。街の様子は特に変わったように見えなかったが、変わった事と言えば道路を列をなして歩く軍人が少なくなったことと以前より気温が下がったことくらい。
スーパーで買ったカップラーメンは洪水で泥水を被ったため時々外装のビニールの中まで砂が入っていた。そういうときは鍋に中身を移し替えて食べた。
標高が2000mを越えたあたりから霧が立ちこめ一寸先も見えない。スピードを緩めて走るも、突然現れる対向車への恐怖から車の中はキャーキャー大騒ぎ。

夜8時頃到着。現地スタッフ老王さんや任田田さんが待っていた。荷物を倉庫に移したり宿を探している間、僕は人目につかないように車の中で待機していた。また軟禁状態。車から宿までの短い距離もジャケットで顔を隠して物々しく移動した。
僕が思っている以上に周囲の人は敏感になり気を使ってくれているのがわかるが、本当にここまで必要なのか。時々よくわからなくなる。
9月は多いときで20人以上の政府や警察が一緒に行動してくれた。今回はノイズを立てないように来たため、社会的な守りがない。自分の身は自分で守らないと。


2つのキングベッドがある少し大きな部屋を5人でシェア。チェンレイが一つ、夫婦が一つ、僕と小白さんは床に寝袋を引いて寝た。備え付けのパソコンはウィルスに感染しポルノ画像と広告のポップアップが止まらない。



昆明の市場で購入したペン、消しゴム、鉛筆、鉛筆削り、キャンディーをペンケースに入れて1セット、合計100セット作る作業を皆で夜遅くまでした。

被災地2日目、全校生徒200人の小学校に行く事に決めた。
100セットの文具をどう200人に分配するか。
チェンレイは貧しい子だけを選んで渡すとか、先生に全て渡してあとは任せるなどの方法を考えていた。
その後の事は考えていなかった。

余るのはいいが、足りないということは避ける
これが支援物資平等配布の鉄則。
消しゴム一つ、おにぎり一つでも大きな争いになるよ。
どんなに小さな事でもそれが想像もしていなかった問題になる。
配る方は楽だ。渡してしまえばいい。しかし、もしそれが行き渡らなかったひとがいたとしたら。妬み恨みを生み出す根源となる。誰がそれを防ぐ事ができるのか。配布する側であるボランティアである。

だからもし一学年と二学年に配布し、三学年分が中途半端だったら、三学年分はそのときは配らず、十分に人数分揃えてから配布する。



阪神大震災や東北で経験した過ちを繰り返してはいけない。災害大国日本からきたからこそその経験をここで生かしていかなければならない。

支援物資や義援金て寄付するまでは簡単だけど、その後必要としている方に行き渡るまでのプロセスはとても複雑な事情が絡み、だからこそ慎重にならなければいけない。


【新聞news】:
Global Times:    volunteer without borders


facebook: (keiichiro kawahara,
河原啓一郎 http://www.facebook.com/coucou.kei 

Documentary TV show

2012年10月15日月曜日

ーとにかく、会う。ー



5月に180日間の2つ目のビザを持って中国に入り、早半年近く、ついに期限が近づいて来た。北京での更新も可能だったが取得に週末を入れて一週間かかるので、昆明へ戻る飛行機の時間に間に合わない。昆明の入国管理局で行う事にした。

僕の活動に朗報が一つ。日本のある大手企業が支援物資や活動資金、交通機関に至るまでサポートしてくれることになった。ビザの延長も共同公益を行うということで紹介状を書いて頂き、他に必要な書類も全て揃えて頂いた。

広州から来た仲良しの記者

約一ヶ月過ごした北京。下手に出歩いて危険な目に遭うのを避けるため、観光名所と呼ばれるような場所はほとんど行かず、協力者に提供していただいたアパートと、取材や後方支援活動の為にカフェや企業を往復する毎日だった。ただ、北京は他の中国の街とは何か違う。人々は比較的広い視野と心を持ち、秩序とマナーがあり、教養が高い。中国11ヶ月目にして初めて首都北京を訪れての正直な感想がそれだった。


そして、思ったより空気が澄み空が青かった。秋を迎え気温も過ごしやすくなったせいだろうか、一年で一番いい時に北京に来た。この短い秋が一瞬で通りすぎると11月には瞬く間に氷の街になる。僕が北京を離れた後、遭難して死者(日本人観光客・・)が出る程の大雪が降るなんて誰も予想していなかった。



北京前半は大使館が集まり多くの外国人をよく見かける朝陽という街に建つ友達のマンションに住んでいたが、そこの自治区の老人が日本人を懸念し警察まで呼ばれ、追い出された。そこを拠点に大学生や記者達と話し合いをしたり料理を作って誕生日会をしたりととても居心地が良かったが残念・・。


しかし友達に相談したところすぐに7件の住む場所を提供してくれる方が見つかった。
新居はマイクロソフトやweiboなどの企業が集まりIT街と言われるオフィス街に位置し、東京の丸の内のような場所。ビジネスマンの為にお昼に歩道に現れるおばちゃんたちの手作りお弁当が安くて美味しくて、三日に2度は食べていた。

TV

北京で何をしていたのか。
どうして日本人にとって超逆境の社会でコトがスムーズに進んでいけるのか。
一言で言うならば。

「人に会う。」こと

学生から有名人、有力者まで、より多くの人に会って会って、とにかく会う。忙しさの中に自分を追い込み分刻みのスケジュールで満杯にしていった。
より多くのパイプと人望を持つ事で、自分一人では成し遂げられない事も可能になる。そう信じている。

ファンの方々にも出来るだけ会った。
その中にとても興味深い出会いが一つあったので紹介したい。



写真の中でメッセージが書かれた大きな紙を掲げているの女性がいる。
日本の新聞記事だ。
内容は、



破壊、盗難、暴行、無秩序化した中国の街を、彼女は泣きながらこのメッセージを掲げて暴徒達に訴えたのだという。そしてこの写真を撮られた直後、数人の男達が彼女から紙を奪い、暴言を吐き、粉々に引き裂いた。

彼女は言った。
「私にも日本人の友達はたくさんいる。何もしていないのに、傷つけられている。ニュースでkeiのことを知って私はいてもたってもいられなくて、行動した。」

彼女からWeiboに何通もメールが来ていたが他にまみれて気づかず、10通目にして初めてメールに気づいた。そして北京にいることがわかり、待ち合わせて会う事に。そのとき広州から来た番組の丸一週間の密着取材が付いて来ており、感動の出会いの瞬間もしっかりビデオカメラに収められた。

彼女はこのニュースがきっかけで有名になったが中国では良くは思わない人もいる。身分を隠しているが時々罵声を浴びる事もあったという。僕に会う前日本の雑誌の取材を受けていた。とてもスタッフが優しく楽しかったと喜んでいた。だが先日来たフジテレビの取材スタッフの失礼な態度にもう二度とフジテレビには会いたくないと怒っていた。話を聞けば、挨拶もなく見下した態度のその男性は僕が聞いても腹が立った。

彼女のように平和を訴える市民は大勢いる。しかし非暴力で訴えるため他の間違った愛国者に暴力で負けてしまうのだ。同じ国の人同士傷つけ合うなんて悲しい、もうどれだけアホらしく恥ずかしい事か、いい加減気づいて目を覚まさないと。



【新聞news】:
Global Times:    volunteer without borders


facebook: (keiichiro kawahara,

Documentary TV show