2011年11月30日水曜日

ハイになる



すっかり好きになってしまった上海を去るのはとても切ない。
まだこの街は長く居れば居るほどほんとうの味がわかってくるのかもしれない。
しかし、Andreasとマーリィはまた明日から旅を再開することになっていた。先週仕事を辞め、アパートも引き払う。二年前にスイスから自転車で来て、しばし上海で沈没。そして新たなパートナーも得て明日から再出発だ。僕とは反対の北京-大連-韓国-日本へ。

実際、「次はうちに泊まりに来てね。」とか「いつでも困ったら連絡してね。」と言ってくれる優しい上海人にたくさん巡り会えた。本当に本当に嬉しいこと。
そして上海の街もとても魅力的な場所。だけど、このまま彼らの優しさに甘えてしまったら、中国大陸最初の都市で沈没してしまいそうな予感がした。いや、沈没型旅行者の僕は必ずする。

昨夜に荷造りを済ませ、朝は早く起きてカリンバを作る。彼らへのプレゼント。
天気予報どおり今日は朝から一日雨。
前に務めていた病院の麻酔科医チャリダーが「雨の日に自転車に乗るとハイになる。」と言っていたのを思い出す。わかる気がする。音楽を聴きながらひたすらまっすぐな道を雨に打たれながら爆走する。時には歌いながらノリノリで。
ただそれも50kmくらい走ったあたりからかな、足の指の感覚がなくなってきて、楽しいどころではなくなってしまった。GPSを見るとまだ今日進む予定の距離のまだ半分くらい。
こういうときいつも思う、この辺でテントを張ろうか。
いやいや、今日の甘えが明日の苦しみ。しわ寄せが来るのはわかっている。今日出来ることは今日しておかないと。


何とかたどり着いた街、蘇州(Su zhou)。
中国人の間では杭州と並んで地上の天国と呼ばれている場所。
今夜泊めてもらったのは英語がペラペラな優しいカップル。彼女の美味しい料理と温かい「黄酒」というお酒を飲んで体が温まる。また一日報われた。映画Kick-assを見て爆笑して、楽しい夜は更けていった。

上海-蘇州
走行距離:91km
天気:雨

* お知らせ *
中国国内、you tube facebookをはじめgoogle社のサイトのほとんどもブロックされ閲覧も更新も出来ないため、ブログ更新が止まっている状態でした。しかし、遠くノルウェーに住む古き良き友人、Ryokoさんがこの度サポートしてくれることになりました。データを送りそれを元に彼女が更新をしてくれます。
いつも応援ありがとうございます。これからも旅の様子、感じたことを写真とともに書き綴っていきますのでよろしくお願いします。

Kei

2011年11月29日火曜日

上海おじさん



目まぐるしく発展をしていく上海。
高層ビルが立ち並ぶ片隅に人々の素朴な生活があった。
新しいエリアをNEW上海と言われるのならばそこをOLD上海と呼べばいいのか。
しかし政府が作った「OLD上海」と彼らが呼ぶ町は観光客向けに再現して建てたもの。
人が住んでるのでもなく、高級なお土産屋さんが並ぶだけだった。

じゃあ本当の昔からの生活がある上海を見に行こう。いろんな人に聞きながら、自転車でたどり着いたのは狭い路地が迷路のように広がり、あちこちに張られたロープにかかる洗濯物をくぐり抜け、アジアの香りプンプンの世界に入り込んだ。路上の市場にはおばさんたちが野菜や魚・にわとり・はと・アヒルを道いっぱいにひろげ、お昼ごはんを食べている。
路上に即席の机を広げ、トランプに真剣なおじさんたち。
「アイヤー!」トランプで負ける度に悔しそうな声と嬉しい声が聞こえてくる。
台風が来たら吹き飛んでしまいそうなおうちだけど、なんだかみんな楽しそうで、歩いてるとウキウキしてくる。







自転車でのんびりと走りながら写真を撮っていると、後ろから「ここの写真を撮りなさい。」
白ひげのおじさんがeバイクに乗りながらそう言ってきた。
撮ったら「次はこっち。」「そしらこっちも、この角度から撮るといいのだよ。」

おもしろいおじさんだ。中国語しか話さないけど、僕が日本人っていったら体いっぱいにジェスチャーを加えてくれる。
たどり着いた先はおじさんの家。家といっても屋根がぬけてて、きっとおじさんが集めてきただろうガラクタが山積みになっている。そして可愛い犬が二匹、よくおじさんになついている。

犬と遊んでいると、おじさんが家の奥から大きな皮のスーツケースを持ってきた。
中をあけてみるとアコーディオンだった。僕は意外なものが出てきてびっくりしていたが、すぐにその音色に聞き入ってしまった。おじさんの中国の音楽とクリスマスのコラボレーション。
沖縄三線も仲間に加わり、犬と僕とおじさんだけの音楽会がはじまった。
次第に近所の人たちも集まり愉快ににぎやかになっていった。

自転車で世界一周中だと言うと、おじさんは目をキラキラさせながら笑顔になった。
まだ時間があるならお寺に行こうと言われ、一緒にお寺の中で写真を撮る。すると写真をお願いした人が上海の雑誌の記者で、おじさんが僕について何かを話すと、雑誌に載せたいからといって、取材と撮影が始まった。なんだか恥ずかしくて笑顔が引きつった。

「おじさん、お腹空いたね。」
そういえばお昼御飯を食べていないまま夕方になってしまった。
「やっすいところ知ってる?」と聞くと、本当に安い、工事が中断したあとのような荒地に立つ夜の屋台街に行った。ひとがいっぱい。みんでビールを何度も乾杯しながらおじさんたちが飲んでいる。音割れしながらラジオが流れている。歌い始めたおじさん、仕事が終わってヘルメットをかぶったまま食べに来るおじさん。僕らも混じっていっぱい食べて、いっぱい飲んだ。
それでもビールは大ビンで30円程。
「うちの犬もお腹減ってると思う。」残った食べ物は袋に入れて、家で待つ犬のために持って帰る。いいないいな。なんかいいなこういうの。日本にしばらく居すぎて忘れかけていた感覚。でも東南アジアとは何か違う。中国人には中国人の雰囲気と気楽さ、適当さがある。結構好きだなあ。


最後におじさんの師匠と呼ぶ人の家に連れて行ってもらった。実はおじさん、音楽や絵画ですごい人のようだ。日本の教科書に載るような人ではないけれど、歴史上の人物を祖先に持つひとのよう。でも今は中国政府のやり方に不満を抱き、自ら表舞台から退き、自由な生活を選んだようだ。
最後はハグして再見。本当に優しく、またぜひ会いたい人だった。


2011年11月28日月曜日

上海×チャリ



右側通行が慣れない。泣


常に常に意識して走っていないと交差点で曲がったときなんかいつのまにか反対車線にいたりする。
これからタイあたりを除いてイギリスまでは右側通行が続くから慣れないといけないね。

中国の交通事情はと言うと・・
日本を走っていたときは大阪が走りにくさもマナーもワーストだと思っていたけれど、そんなの全然たいしたことない。クラクション鳴らしながら赤信号平気で通り、接触もいろんなところで目にする。ヘルメットなんてもちろんかぶらないし、50ccに三人乗りはふつう。カンボジアやラオスを思い出す光景だ。

自転車とスクーターが多いのかなと思っていたらそれも何か違う。
数年前からeバイクというのが普及し始め、ほっとんどがこれ。日本の電動自転車ともまた違う。自転車(またはバイク)なんだけど、バッテリーが着いていてこがなくても進んでいく。スピードも早い。ペダルもついているが使っている人はあまりいない。
これがすごーく静かで、後ろから近づいてきてるのに気づかないくらい。うるさくないし、環境にもいいからすごくいいなーって思うけど。

上海に来て思うのが、自転車と一緒でほんと良かったなってこと。とにかく広い、見たいところもたくさんある。バスはパンパンのすし詰め、地下鉄はラッシュもあるし、駅周辺しか見れないからどこいっても観光客に揉まれる。それにふと思い立ってここに行こうとか、ちょっとした郊外に行こうかなっていうときに
すぐに動ける。
そしておまけに地元のひとになった気分。笑

ガソリンも、駐禁も、終電も関係ないもんね。




今夜は船で一緒だった仲間立ちとご飯。

プエールも今週末自転車買うらしい。

ほんとうに自転車の旅、いいですよ。

2011年11月27日日曜日

ユーラシア上陸



船は東シナ海からゆっくりゆっくりと黄浦江に入っていく。上海に入った!
大小いくつもの船が通りすぎていき、それぞれが赤い中国の国旗を翻している。
一緒に乗っていた欧米人たちは日本の生活が長かったせいか、中国にびびっていた。くすんだ空気と茶色い海を見て
「あー日本に帰りたい。」
僕も例外じゃない。
「乗ってきた船で帰ろうか。」
みんなもちろん冗談だけど、そうなりますよねー。
まず船から見る上海の高層ビル街。圧倒される。

飛行機ではなく、船だったからかもしれない。
空からは数時間でついてしまうが三日間じっくりじっくりまるで入国をもったいぶるように移動してきた。
海、空、太陽、星。360度水平線の世界から中国最大の都市へ。乗客30人の船から、人口1600万人の町へ。

こんにちは上海!よろしく御願いします!



今日から泊めてもらう家はアンドレアスさんとマーリィさん宅。僕と同じチャリダー。予めコンタクトを取っていた。スイスから東南アジアまで自転車で来て、途中中国人の彼女ができてからは上海に一年くらい住んでいる。てことはまだ自転車旅の途中ってことだ。自転車も荷物もそのまま来たときのままで、帰国もしていない。韓国ー日本へと進む前にスタックしてしまった。
なんか将来の自分じゃないかって思ったらちょっと怖くなりつつも笑えてきた。

温かい性格だけじゃなく、まぶしすぎるくらいの笑顔を持つ彼。そんな彼が自転車のハンドルを握った瞬間、豹変したかのようにアグレッシブになるのが面白い。
中国人に負けずと車やバイクの間を縫うように走り、赤信号を高速で突っ切る!見失わないようについていくのが精一杯で、何度も車と接触しそうになった。

冷や汗かいている僕に一言。

Hahaha,Welcome to china!




2011年11月26日土曜日

海の上の生活

朝まだ眠いながらもベッドの上で目を覚ます。ふわんふわーんと揺れている。ここが大阪の長居ではなくて、船の上なんだって気づく。
窓から光が差し込むので急いでカメラをつかんで階段をかけ登り、デッキに出るも、しまった、遅かった。太陽は水平線からだいぶ離れていた。
もう先に上がって写真を撮っていたイタリア人のプエールが「こんなに晴れてるのに残念だったね。」
朝日を見逃した。






朝食は無料、お粥がおかわり自由だったので七杯も食べた。さて丸一日海の上で何をしよう。釣竿を二本持ってきているので釣りでもしようかとイギリス人のアンソニーと話していた。サメでも釣ろうかって。
結局天気がよくて気持ちがいいのでデッキに出て本を読んだり中国語を教えてもらったりしていた。

瀬戸内海を抜け、九州を通りすぎてしばらくしたら携帯の電波が届かなくなってきた。陸も船も見えない。
いよいよか。もう日本じゃないいんだね。
今度はいつ戻れるのかな。
もし万が一のことが起こったら、もう日本には帰れないかもしれない。
使えなくなった携帯電話を握りしめながら、日本がある遠い海の先をみつめてしんみりする。


夜はプエールのパソコンで映画鑑賞会。バレンタインズデイ。いまいちな映画だったなー。

明日はいよいよユーラシア大陸上陸!
どきどき!

Here comes kei and my lovely bike!


2011年11月25日金曜日

-ようきてくれはりました-

本日11/25正午、日本大阪湾から出航します。

今大阪で泊まらせて頂いているのは西山さんのお宅。

キッチンではお母さんがトントントンと朝ごはんの味噌汁

を作る音が聞こえてきます。
かれこれ10日間以上お世話になりました。
「ようきてくれはりました。」
三週間前の大雨の夜、ずぶ濡れになって京都から到着した
僕を暖かいお風呂と美味しい御飯で迎え入れてくれた。
立派な息子ゆうきくんの優しさと、お母さんの笑い声が絶
えない素敵なおうちでした。
七輪でサンマを焼いているお父さんの背中も素敵でした。


待ちに待った中国ビザが昨日おり、無事フェリーのチケッ
トも手に入れました。

忘れ物はない? ないはず!荷造りと荷解きは慣れたもの


不安はない? ・・ないはずがない!一ヶ月間日本を旅し
たけど、これからは大陸、住み慣れた国からゆっくりだがどんどん遠ざかっていく。どんな冒険や出会いが待っているのか?果たして中国は僕を歓迎してくれるのか?ワクワクしている恥なのに、隠せない不安が背中から静電気みたいにゾクゾク伝わってくる。

震災では中国にも多大な援助をしていただいた。

僕は直接の被災者ではないけど、同じ国に住む人間として

自転車に中国語で「頑張ろう日本!ありがとう中国!」
と大きく掲げて走り、感謝の気持ちを伝えたい。 

そしてあくまで僕は他の国にお邪魔させてもらう立場、

きっと失礼な中国人もいっぱいいるだろう、
でも失礼な日本人にはならないようにしたい。
彼らは僕ら旅行者を通して日本を見ているから。
もし僕が優しいことをしたら、きっと日本にもきたことの
ない彼らは「あぁ、日本人て優しいんだね」って思ってくれるはず。

それにみんなの期待も背負ってる。世界に恥じない日本人
にならないといけないといけないと思う。だから大阪でも奈良でも京都でも、信号無視は一度もしていない。

自分が頑張る姿を見て、じゃあ自分も頑張ろうって思って
くれてる人たちがたくさんいる。
人は人によって変われる。僕も日々色々な人との出会いの
中でゆっくりだけど成長している気がする。

みんな、みんな、みんな、ありがとうございます。


そして、


いってきます!

-出航!-

























本日正午、大阪湾から出港。
いよいよ日本を出るときがきた。
いつもより少し早く七時に起きて、かっちゃんのお父さんお母さんを見送った。お父さんはいつものように固い表情だったけど「また来てくださいね。」といってくれた。お母さんが作ってくれた最後の味噌汁、冷えた体に染み込んでいく。


10日間以上過ごした大阪、毎日充実していて楽しかった。
ちょっといろいろと中国に似ている大阪
自転車があって本当に良かったと思う。
新世界や、通天閣、難波、心斎橋、下町をゆっくり縫うように見れたのも自転車のお陰。


港に行く途中お母さんのデイサービスに寄ってさよならを言う。
かっちゃんも、ほんとは午前授業あるはずなのに、休んで途中まで見送ってくれた。


俺の後ろを彼が走っていたけれど、涙が出てきて後ろを振り向けなかった。
久しぶりの大荷物で走る。沖縄三線やカリンバの工具が増えたぶん重い。三線を横にしてくくりつけたせいで電柱にぶつかって倒れたりもした。立てにした方がよかったね。

10:50大阪国際フェリーターミナル到着。
自転車は5000円、他に二つまでは預けが無料。紐とテープでグルグルにして四つの青い鞄を二つにまとめた。自転車バイバイ、また上海でね(T-T)
出国手続きは簡単、荷物の中身もチェックされない。ガソリンやガスが入っているのに。笑


いよいよフェリーに乗り込む。同じ部屋には日本に7年も住んでいたシーさんと僕だけ。ベットが四つあったから一人で二つ使えた。
オーストラリアのジェシー、イタリアのプエール、イングランドのアンソニー、それと自分、和歌山のおじさん三人、仙台からモンゴルまで自転車で帰るというモンゴル人、外国人はそれだけ。あとは中国人研修生が20人くらい。230人定員でこれだけだから、船内はがらがらでとても快適。


朝食は無料だけど、昼夜はレストランで注文して食べた。
税金がかからないからビール安い。
みんなで三線を弾いたり、カラオケしたり、楽しい船旅になりそうだ

2011年11月14日月曜日

日本の最果て -波照間島-

有人島としては日本最南端の波照間島。
東京から約2000km、台湾までは僅か230kmの距離に位置している。
波照間の島名の由来は、「果てのうるま(サンゴ)」その名の通り、周囲15km全て珊瑚礁に囲まれている。
石垣に泊まらせていただいている家に半分荷物を置いて、ここ波照間で4日間の島生活をしてきた。

 僕がこの島に来て一番楽しみにしていたのは、ゆるりと昔ながらの生活をしている陽気なおじいたちとの出会い。
それから、波照間といえば天然のプラネタリウム。 全天88ある星座の内、84の星座が観測できるそう。
そして、もちろん海!きれいな海を見なれた八重山の人たちですら思わず息をのむ波照間島の海の色。
その「ハテルマブルー」と言われる海を堪能してこようと今回訪れました。

島のおじいのユニークさに関する伝説はいっぱいあります。今回はずーっと行きたかった西浜荘のおじいに関するお話。

ある日、おじいの民宿で住み込みで働いているエミコさんが「おじい今日リュック買ったんだよー!」と言うとおじいは、

「そう、あったかそうやーねー。」

うん・・ 何か勘違いしてるよおじい。笑

おじいがトイレに行ってるところを見たことがない。
よく観察してると、すーと立ち上がって、チャックを下ろしながら歩いていく先は道路。歩道から勢いよくスル。

「どうせ雨が流してくれるからねー。」
おじいはとても話し上手だ。
おじいに「明日の天気はどうかなあ。」って聞くと「晴れるかもしれないし、雨かもしれないねー。」
おじいに「この場所はよく釣れますかあ。」って聞くと「釣れるかもしれないし、釣れないかもしれないねー。」
すごく無難なお返事。笑

確かに自然を相手に、自然と共に生活しているこの島の人々。この大きな海と、大きな星空に挟まれて暮らす人間なんてちっぽけだよね。明日の天気なんて空の神様しか知らない。釣れるか釣れないかなんて海の神様しか知らない。 

その時あるもの、採れるものの命だけをいただく。お金の許すままに、欲のままにありとあらゆるものを消費していく都会の生活とは明らかに違う。おじいはテレビも携帯もない。ラジオはいつも一チャンネルしか聞かない。というか、電波が入らない。
NHKのど自慢が流れてくる。それで今がお昼なんだってわかる。

ふと思った。今まで石垣島や本島を含め、テレビを持ってる人と、持っていない人では人柄になんとなく違いがあるのがわかった。テレビを持たない人たちの方が若者・お年寄り問わず心がすごーくキレイ!
なぜか考えてみた。僕らはテレビから得る情報をそのまま鵜呑みにし過ぎている。もちろん、見聞きしたものを信じるか信じないかの選択の自由は僕らにあるのだが。メディアが伝えたものならなんでも正しいと思いがちなのが日本人。少数派よりも多数派の意見に流されてしまう。だから、タレントや評論家が批判しているのを聞けばそうなんだと思うし、みんなが使い始めた商品があれば自分も気になって欲しくなる。これって洗脳みたい。

石垣でこんな話をしたことがある。
あるエライ大学教授が「今のテレビはしょうもないことばかり伝えて、国民をバカにしている。レベルが低すぎる。」と言ったそうだ。
そこでそれを聞いた人は「テレビはバカにしているのではなくて、国民に合わせて、国民が好みそうな番組を作っているんだよ。」と言った。そしたらその教授は反論できなかった。
ちなみにこの「聞いた人」というのはテレビを持たない生活をしているひとだった。

テレビだけが人間を変えてしまっているとは決して一概には言えないが、僕もそれはこのところ思っていた。確かに世の中に対して・ほんの些細なことに対してですら批判や文句ばかり言っている人たちはすごく多い。そして残念ながらそうやってプンプンしている人たちは全然幸せそうに見えない。
もしかしたら、テレビの前のあなたかもしれない。笑

天気予報を聞かなければ、はずれて文句をいうとかもなくなるんだね。

僕も旅に出てもうすぐ一ヶ月が経とうとしている今、自分の中で価値観や人や物に対する見方が変わってきた。
それは良い方向にという意味でいいと思う。
ここに来るまでにたくさんの人たちに助けられ、折れそうな心を支えられ、お腹も気持ちも満たされてきた。
すごく人に恵まれているなと日々実感してる。
感謝の毎日です。
ありがとう。

でも世の中がみんなおじいみたになったらそれはそれで大変なんだろうな。笑

さて、
波照間ではできるだけとことん自給自足生活。
お腹が空く前に浜に行って自前の釣竿を投げると面白いように釣れる。
毎日刺身や素揚げにして旅人たちとみんなでわいわい食べた。
50ccのカブで日本一周中のトモくんも初めての釣りだったがここまで釣れると面白くてすっかりハマっていた。
彼は群馬を出て東北に向けて走り、北海道の日本最北端で折り返して、ここ沖縄の日本最南端まで来た。8月に出発してもう三ヶ月旅を続ける彼の心と体はたくましく、話していても面白い。前髪が伸びすぎてヘルメットをかぶったときに邪魔だというので、切ってあげた。視界は良くなったけど、ふかわりょうみないになっちゃった。ごめんなさい。
でも彼は気に入ってくれ、鏡を見ながら嬉しそうに満面の笑顔で喜んでくれた。
素敵な出会いがもうひとつ。
波照間に移り住み、おじいの元で働くエミちゃん。彼女が弾く沖縄三線と歌声が、波照間のざわわなサトウキビ畑に溶け込んでとても心地が良かった。気分が乗ってくると晴れた日は自転車で駆け回りたくなるが、トモ君が原付をかしてくれるので勢いで島を一周。日本最南端碑まで行って戻ってくる。
夜はオリオンを飲みながらエミちゃんの三線教室。
ギターも弾いたことなかったけど、大きな三線と漢字の楽譜を見てビビルどころか、なんだかワクワクする。うちにあるウクレレの二倍はある。とても落ち着く音色。夢中になって毎晩かりて練習してた。

石垣に帰ったあと、三線屋のおじいと話す機会があった。
旅の話と貧乏そうな容姿(!)を気に入ってくれて、少々の傷ありだが高価な新品の沖縄三線を破格で譲ってくれた。しかもケースや補修パーツ・楽譜もつけて。

ということで、これからは沖縄三線も旅の仲間に加わりました。きっとより楽しい旅になっていくはずです。

そして来週から旅先で出会う中国のみなさん、僕に優しく三線の弾き方を教えてください。笑












2011年11月4日金曜日

-Daria-



僕には、旅の帰りを待っていてくれる人たちがいる。
両親はもちろん、兄弟や友達、実家の犬、僕をここまで来させてくれた人たちにまた必ず帰るって約束した。
中でも、全面的に協力してくれた最高のパートナーが、Daria.僕の恋人だ。
素人の自分よりも自転車の知識が豊富だったり、カメラの知識や海外情報など、彼女からは色々教えてもらった。それだけではない。底抜けに明るくポジティブで、好奇心旺盛、誰にでも優しい性格は、僕も見習わなきゃなって、いつも思う。

その彼女が、先日少しだけ仕事の休みを取って石垣島に会いに来てくれた。
離島に行ってママチャリで島爆走したり、ビーチで魚たちと泳いだり、沖縄料理自炊してみたり。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
これで次は、いつ会えるのかわからない。楽しい間もお互いそんなことを考えていたと思う。
荷造りをしたバックパックがいつもより重い。空港まで送ったレンタカー、ハンドルが重たい。いつもより空も暗く低く感じた。カーナビが壊れて道を間違えないかな、とか、台風が来て飛行機が遅延しないかなとか。よからぬことを考える。

無事空港に到着。「じゃあ、またすぐにね。」
涙はなし!って決めてたのに、Dariaが泣くから・・。


俺のせいで貧乏旅行になってごめんね。

でも晴れ男だから、毎日雨って予報だったのに毎日晴れたよ。


 今度はDariaもmy自転車を持ってきて、中東を抜けたイスタンブールあたりで合流かな。
その時また、笑顔で再開しようね。

ありがとう

2011年11月1日火曜日

―離島生活―

 

 大阪の友達の家に自転車と荷物の三分の二を置かせて頂き、八重山諸島の入り口石垣島へ。
ここで約2週間の島生活が始まる。
初日は空港からゲストハウスのドミトリーを目指す。なぜなら日本中、世界中から旅人が集まるからだ。長期で滞在している人が多く、島のオリオンビールを飲みながらいろんな情報を交換した。

島とはいえ、意外に都会、マックスバリューが3店舗、「coco!」っていう沖縄版コンビニがあちこちにある。共同キッチンでみんなでゴーヤチャンプルや沖縄そば作って、石垣祭りで地元の屋台料理食べて。沖縄の安くておいしいものを毎日食べているだけで幸せ!
気温30℃・砂浜は白く、空は青く、お魚はレインボー、なのにビーチは空っぽ。誰もいない。
まるでプライベートビーチ!遠浅の海に気が済むまでプカプカ浮かんで夕日を眺めてるのが一番の楽しみ。
こっちで知り合った友達に自転車を借りて島を駆け回る。牛がのどかに歩き、オバアどうしがが畑で大笑いしながら話してる。自転車に三人乗りしてる子どもたち。なんかゆるくていいなー。


沖縄の「世界の田舎に泊まろう」。本土から石垣に移り住んできたカオル姉さん。西表島のバスの中で出会った。今では島人とゆる~い生活をしているが、以前はバリバリ本土で看護師長をしていた。船旅で世界一周したり、先月もアフリカから帰ってきたばかり。素敵~!

※まっちょ写真:僕ではありません。

 泳いで小島に渡り、夕日に向かって釣り糸をたらす。サヨリやアジがおもしろいほどたくさん釣れた。蛍が舞う中を自転車でゆっくり帰る。11月なのに蛍が見れるなんてびっくりだ。
 釣った魚はお刺身やバター焼きにして、大好きな390円(!)のシャンパンと一緒においしくいただいた。

沖縄にはまだまだ僕が知らない楽しい人や楽しいことがいっぱいありそうだ。
これからそれらに会えると思うと、わくわくしてくる!